マルクス主義同志会 代表委員会が6月6日に発表した公開質問状は以下の通りです
恥は恥とはっきり呼ぶべし
青木昌彦の著書は「祝賀」に値するのか
「出版祝賀会呼び掛け人一同」に対する公開質問状
篠原浩一郎が代表発起人になり、旧ブント(最初の「共産主義者同盟」)もしくはその周辺にいた数十人が呼び掛け人として名を連ねて、青木昌彦の『私の履歴書 人生越境ゲーム』の出版祝賀会をやるという案内が、我々にも送られてきた。我々は何のために、また何を祝賀するのか、と怒りと軽蔑の念に駆られながら問う以外の、どんな対応の仕方も知らない。
以下、公開質問状を送付するので、すべからく回答されることを要請する。なお、この質問状は『海つばめ』紙上において掲載する予定であることを、あらかじめお断りしておく。もし回答があり、また要請があれば、その回答もまた『海つばめ』に無条件で掲載することはお約束する。
まず強調しなくてはならないことは、青木昌彦という人間を美化したり、その著書を「祝賀」するなど決してあってはならないということである。まして、その著書が旧ブントのことに関連し、しかも青木が自らの当時の言動を正当化し、弁護するような内容を含むものであるにおいてをや、である。
青木という人間は、ブントの指導者として、革命──しかも「世界的な」規模での共産主義革命、つまり「世界革命」──や「共産主義」を呼号し、六〇年安保闘争の「決定的な意義」を語り、安保改定を阻止せよ、“スターリン主義者”を打倒せよ、と先頭に立って扇動し、多くのブントの活動家や学生たちを権力との闘争にかり立てながら、自らは結局、その言動に何ら責任を負うことなく、ブルジョア陣営に走った、もっとも卑しい、無節操な人間である。糾弾されることはあっても、ほめたたえられるようなものは何もない人間である。
かの闘いでは、樺美智子が亡くなり、多くの活動家が身体を損傷し、また長期の裁判闘争を余儀なくされ、また人生を大きく左右された人々も数多(あまた)いたのである。青木はこうした人々に対して、いかに責任を取ったのか、取ろうとしたのか。自分だけ風をくらって逃走すれば済む、といったことではなかったはずである。
ブントが解体したからというのか、しかしそれなら、ブントの最高指導者として、いかにその困難な状況を克服して、さらに前進していくのか、その展望を示すという、決定的に重大な責任も義務もあったはずである。
また60年安保闘争後、あの闘いを踏まえて、多くの場所で、様々な形で闘いを継続して来ている人々も沢山いるのである(我々もまた、その一部である)。
青木はブントの指導者として──青木は「私の履歴書」でも、自分の指導的役割を自慢たらしく書いている──、こうしたことの一切に責任を負っていたのであって、具合が悪くなるとたちまち戦線から逃亡し、自分だけ要領よくブルジョア的に転向して済むということではなかったはずである。そんなことをする人間が最低の人間であり、「人の道にもとる」ということは、余りに明らかではないのか。
そんなひどい人間の青木が、今、安保闘争のあとのブントの混乱期における無責任な言動や、醜い“ブル転”(ブルジョア的転向)までも、何か有益な人生の道であったかに自慢し、一切の無責任と無節操と臆病と根性なしを、何か賢明で、正しい選択であり、まともな人生であったかに書き立てている、そしてそんな本を出すというのであり、そしてそんな青木の立場や本をちやほやと持ち上げ、「祝う」という愚昧な“お仲間”連中がいるというのである。
この“お仲間”連中とは一体どういう人種か、青木と同様の、あるいはそれ以上のはれんち漢であり、無責任な連中ではないのか。青木がブルジョア的“名士”(流行の言葉で言えば“セレブ”)として登場したということで、急いでその周りに群れ集まっていく連中の、何とさもしく、げびていることよ。
我々は日本経済新聞の「私の履歴書」に青木の連載が掲載されたころ、すでに次のようにはっきりと書いて、青木のゆるされざる本性を糾弾した。
「青木はこれまでずっと、自分の“革命家”としての“経歴”や思い出について一切語らず、その点ではいくらか増しかと考えていたが、しかし青木もまた西部とか、その他山ほどいる──林道義もその一人だが──くだらない連中と何ら変わらない俗物であることを暴露し、かくしてブントという存在のプチブル的本性を確認する上で、最終的な仕上げをしてくれたのである。
恥というものを知らない、青木とか西部といった心根のくさったゴキブリ連中よ、せめて諸君は沈黙を守るべきではなかったか。諸君には、えらそうなことを言える資格は全くないのだから。我々の怒りと軽蔑は深い」(『海つばめ』一〇五四号、〇七年一〇月二一日)(なお、この文章は全文、我が「マルクス主義同志会」のホームページで読むことができる)。
我々は青木とその腐った“お仲間”連中に、次の三点について、公開で質問する。
(1)、諸君は何のためにブントを結成し、そこに結集したのか。「若気のいたり」であって、今では、そのことは間違いであり、あるいは正しいことではなかったと思うのか、それともブントの意義はあったというのか、そうだとするなら、それは何なのか。諸君ははっきり答えるべきである。
もしブントなど大した意義はなかったというなら、何のために青木はいま、ブントの中心人物であったかに自慢気に語り、自分の“功績”を誇るのか、誇ることができるのか、そして諸君は、そんないいかげんな青木をほめあげるのか。
少なくとも、戦前の“転向者”はそうすることができなかった、というのは、権力の弾圧が厳しく、そんないいかげんな立場は許されなかったからである。“転向者”は“転向者”であり、かつての共産主義や労働者革命の理想を放棄し、それを悔い改めているからこそ、“転向者”である。青木はかつての共産主義者としての自分を反省し、悔い改めているのか、それとも反対に、それを今もって信じ、擁護しているのか。いまだ、共産主義(青木があんなにも強調した「世界革命」の理想)を正しいものと信じているのか。
ブントを美化するなら、それを信じているということであり、他方、自分が呼号した「世界革命」の理想はばかげた妄想だったというなら、ブントについて、その根底の思想や理論を自分が先頭に立って鼓舞したかに自慢するのはどういうことか。青木よ、そして青木の貧相な迎合者、追随者たちよ、答えるべきである。
(2)、第二の質問は、安保闘争の後、青木が取った最も無責任な立場について、である。青木が、ブントと六〇年安保闘争の最先端の指導的な立場にいたというなら、彼は安保闘争の指導とブントについて、全く責任を果たさなかったことをどう考え、反省しているのか。
例えば、青木は島や北小路や服部らと一緒になり、6・15「国会突入」闘争を指導したのだが、他方、その直後の大闘争、6・18闘争では、徹底的に闘いを抑える側に回り、それまでさんざんに非難してきた社会党や共産党と同様な日和見主義的戦術、「お焼香デモ」しか許さなかったが、指導者としてのこうした動揺と臆病と日和見主義をどう弁解するのか。
6・18ではすでに客観的に闘う力がなかった、そんなことをしたら大弾圧を招きかねなかった、犠牲者が樺美智子一人ではおさまらなかった、というのか。それなら、6・15闘争もまた正しくなく、樺美智子の死もまた無意味な犠牲であったというのか。
60年安保闘争は「決定的な」闘いであると青木は呼号したのだから、6・15闘争と、6・18闘争が区別され得るはずもないのである。むしろ6・18は客観的に一層有利な状況さえ存在したのであり、岸内閣を打倒する絶好のチャンスが到来したとも言えたのであり、大衆は憤激と闘争への決意は頂点に達していたのである(我々の知っている学生のWは、6、18デモには、「父親の拳銃をふところにして参加した」と、ずっと後になって教えてくれた)。そんなときに日和ることは果たして、青木等の立場や理屈から言えば、度はずれの日和見主義ではなかったか。なぜ一方はお焼香デモでよく、他方は「国会突入」なのか。双方とも「決定的闘争」の一環であり、雌雄を決すべき「決戦」の一部ではなかったのか。青木は自らの日和見主義と動揺を説明する義務がある。
この点については、安保闘争の後のブントの会議などで、服部や星野や長崎浩や蔵田計成らの“革命の通達派”の猛者連が激しく青木や島を糾弾し、追及したが、今にいたるまで、青木や島らはきちんと回答していないのである。
もし6・15の闘争も「若気のいたり」であり、無意味な闘争だというなら、その闘争に学生をかり立てた、青木や島の責任はどこに行くのか。意味もなく樺美智子を殺したのは青木や島の責任だということになるが、それでもいいのか(彼らは安保闘争後、「樺さんはばかだった」とうそぶいた。仮にこれが「ばかなほどまじめだった、一途だった」という意味であったにしても、こうした発言が青木等の口から出るのは許すことができない。要するに、樺美智子も「自分たちのように、要領よく振る舞えばよかったのだ」と言うも同然だからである)。
一体、青木や島といった無責任な連中は、樺美智子の死にどんな責任を負うのか、自分たちは一切関係ない、知ったことではない、さっさと“ブル転”でもして“優雅な”人生を送ろうと、それは我々の勝手だとでもいうのか。そうだとするなら、何という無責任で、いやしむべき連中であることか。こうした連中は、人間のクズではないのか。
青木は6・15においては、学生たちを権力との正面衝突にかり立て、6・18においては、闘いが異常に高揚してきた「決定的な瞬間」において──と、革通派の蔵田や長崎らは声高にわめいて、青木の日和見主義と臆病を糾弾したが、今その蔵田や長崎が、青木の“功績”か何か知らないが、お祝いするというのである。ウルトラ“革命主義者”といったものの愚劣さ、皮相浅薄の見本みたいなものだというしかない。蔵田らは今や、中島嶺雄といった、「つくる会」などの国家主義者、極反動と同じような立場にまで転落した腐敗人間とも手を組むというのである──、権力との闘いから逃走し、しっぽをまいたのは何ゆえか、青木ははっきり語るべきであり、その責任がまた果たされていないのである。青木は、安保闘争は「決定的な闘争」、天下分け目の闘争であると叫んで学生を扇動してきたのだから、この質問に答える義務が残っているのである。
もちろん、青木がこれまでの「四八年間」の通りに沈黙しているなら、あえて我々は青木を糾弾し、こんな質問をぶっつけることはなかったであろう、だが、青木は今この年になって、ブントについて語り、そこにおける自分のご立派な指導的な役割を自慢たらたら語り、ブルジョアたち、反動たち、転向者たちに奉仕しようとするのであるから、我々の質問に明確に答えなくてはならないのである。それは責任ある人間の義務というものであろう。
(3)、最後に、我々は青木が安保闘争後の「共産主義」運動とブントに対して取った、最も無責任な行動について質問しなくてはならない。
彼は安保闘争後のブントの混乱と解体に対して、指導的、中心的な立場にある者として、どんなまともな、責任あるある対応もしなかっただけではない、むしろ混乱を拡大させ、最後には無責任に、彼がつくりあげたという運動もブントも何もかもほおりだし、ブルジョア陣営に走ることによって、ブントの混乱と解体に決着をつけたのである。
要するに、最後にいたるまでどんなまともな責任も取らなかったのである。スターリン主義者の腐敗した党(共産党)に代わって、新しい真実の共産主義の政党、労働者の革命的組織を建設するのが、我々の課題だとあんなにも叫びながら──我々もまた、その呼びかけを真剣に受け止め、希望と期待と情熱と真理に対する献身の決意を持って、ブントに結集したのだが──、その重要な任務などどうでもいいかに、ブントの解体期に振る舞ったのである。
ブントが新しい労働者党の「器ではなかった」というなら、それはそれでいい、しかしそこからは、ブントを止揚して、さらに前進するという課題が生じてくるだけであって、ブルジョア的に転向すればいいといったことに、どうしてなるのか。
ブントがだめだというなら、それを超えてさらに前進していくためのヘゲモニーを取る代わりに──青木がそれまで言ってきたことからして、ヘゲモニーを断固取るのは当然のことであったにもかかわらず──、ブルジョア的に転向し、さっさと“戦線逃亡”する道を選んだのである(旧軍隊なら、戦線逃亡は死刑に値する重罪だ)。こうした男は徹底的に批判され、非難されるべきであって、どんな称賛にも値しないのは自明である。
青木等にとっては、権力との激突やブントは、「人生越境ゲーム」の一こまに過ぎないのだ(この「人生越境ゲーム」という言葉こそ、青木の甘えた、“おぼっちゃん”根性を暴露している)。青木にとっては、えせ左翼からブルジョア陣営への転向は「ゲーム」の一種でしかないのだ、ブントの運動も要領のいい、勝手きままな人生の単なる一こまというわけである。清水とか北小路のように、黒田派から中核派へと、あるいは“内ゲバ”などへと、つまらない政治屋的な人生を送るのは愚の骨頂であって、ほかにもブルジョア社会には楽しく、華やかな人生、日の当たる場所はいくらでもある、さっさと転向すべきだった、と言うのである。まさにいやらしいエリート意識、ブルジョア根性丸出しである(労働者活動家なら転向しようとしまいと、青木のような、西部や中島嶺雄らのような、ブルジョアたちにちやほやされる、特権的で“高雅な”人生を送れるはずもないのだ)。
しかし篠原やその他諸々のブントの悪臭をはなつ「残骸」たちは──彼らは自分らの悪臭を自覚しないから一層始末におえない──、青木のような節操なく、卑小な人格を持ち上げ、美化し、「祝う」価値があると信じるのである、つまり諸君は青木と同等の人間、それ以下の陋劣で原則や信念を欠く人間であるということか、そのように客観的に評価されてかまわないということか、それほどにつまらない、空っぽな連中だということか。
青木とその“お仲間”連中は、我々の質問に答える義務がある。これは我々だけの質問ではなく、かつて六〇年安保闘争を真剣に闘った人々、ブントに加わって新しい理想に燃えた人々全員の(故樺美智子も含めて)憤激であり、怒りの詰問であることを(公然と表明されている、あるいは表明されていない、多くの怒りと弾劾の声と心情の噴出であり、その代弁であることを)、諸君は知るべきである。
なお我々は、この公開質問状が呼び掛け人のすべてに配布されるか、閲覧され得るように配慮されるように、あるいは少なくとも、これが送り届けられていることを、呼び掛け人全員に周知徹底されるように要望する。
2008年6月6日 マルクス主義同志会 代表委員会
●『海つばめ』1054号に青木昌彦の批判が掲載されています。記事はこちら
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