●1075号   
【一面トップ】バラマキ政治に走る福田改造内閣――消費税増税を公言――古い自民党へ完全回帰
【主張】七年越しのWTO交渉の決裂――再び世界の分裂と抗争の時代か
【草枕】労働者の“悪い友”
【コラム】飛耳長目
【二面トップ】派遣労働そのものの禁止を――やっと日雇い派遣の禁止――これでは労働者の地位は変わらない
【各地の“草の根”政治】神奈川/階級的視点が必要だ――原子力空母反対闘争
【三面トップ】ベトナムでもODA汚職――ワイロは“商習慣”と――居直るコンサルタント企業家
【三面サブ】“亡霊”は甦る――マルクス怖れるインテリたち
【三面サブ】過酷な労働実態を告発――『ルポ・“正社員”の若者たち』
【四面トップ】天安門事件を背景に青春像――芥川賞受賞作『時が滲む朝』を読む
【四面書架】『斎藤一郎著作集(第一期全八巻)』/血の通った戦後労働運動史
【四面サブ】公教育退廃の一側面――大分教員汚職事件に思う
【四面連載小説/天の火もがも(4)――林 紘義】こはいかに 入学即デモ、全学ストとはC


【一面トップ】
バラマキ政治に走る福田改造内閣
消費税増税を公言
古い自民党へ完全回帰

 福田は十七名の閣僚中、十四名を入れ替え、清新さを装うとともに、来たるべき総選挙に向けて、その体制を整えようとしている。“改革”などを棚上げし、「景気」や「生活」などをスローガンに財政膨張(バラマキの人気取り政策)に走り、その帳尻を消費税増税で埋め合わせようという“戦略”である。しかしこの貧弱な改造内閣は、まさに自民党政権の終焉を予感させるものである。こんなもので、“国民”の支持を回復し、自民党権力を継続させ得ると考えているとするなら、彼らは現在の自分たちの置かれている状況が全くわかっていないのである。「結党以来の」危機に直面しながら、こんな「内閣」しか準備できなかったこと自体が、この党がすでに頽廃し、茫然自失して、なすすべもなく敗退するしかないことを教えている。

 改造内閣の評価で、ブルジョア・ジャーナリズムはまっ二つに割れている。

 福田内閣の支持率が劇的に四一%(読売)、もしくは三八%(日本経済)にまで回復した(産経もまた二九%と支持率を高めにはじきだした)、麻生効果だ、などとうれしそうに語る反動派が存在する一方、朝日と毎日はせいぜい二〇%代半ばで、改造はほとんど評価されていないと結論づけている。

 どちらが正当かはさておくとして、少なくとも労働者の意思は明白であろう。この内閣は自民党権力の「終りの始まり」以外の何ものでもない。

 福田は、改造内閣を「国民の目線」でものごとを処理する、「安心実現内閣」だと自称したが、実際には、現実的な観点をますます失いつつある。

 経済財政相に与謝野、財務相に伊吹、そして国土交通相に谷垣が起用されたことに象徴されるように、これまでの“改革”路線を放棄して、“古い”自民党に戻るということでしかない、つまり福田内閣が言う「財政再建」とは、消費税増税による「財政再建」であって、「構造改革」を徹底的に推し進め、支出のありとあらゆるむだや不合理を一掃することによるものでは全くないのである。

 しかもこの大増税は、「法人税」や財産税や累進的所得税の強化や不労所得への課税拡大等々によるものではなく――こうしたブルジョア層や寄生階級への税金はむしろ一貫して軽減されてきたし、今後も軽減が約束されるのである――、“大衆課税”として悪名の高い、消費税によるものでしかないのである。賃金労働者や低所得者層の負担を実際的に大きくし、その生活を追いつめ、破綻させる“逆累進課税”の強化である。

 公共事業を削るとか、道路特定財源の一般財源化を断固として実行し、それによって社会保障を充実させるといったことは事実上棚上げされている。社会保障は労働者人民のためのものだ、だから消費税でやるのは当然だ、くらいにしか彼らは考えていないのである。

 要するに、労働者人民から一層大規模に、徹底的に収奪するなら、国の財政は好転する、「財政再建」も可能になるということでしかない。

 消費税の導入こそ「財政再建」である、などという主張は途方もなく厚かましいものである。政治家やブルジョアたちが国庫にたかり、浪費に走ることで作り出してきた膨大な借金を、なぜ“国民”が、つまり労働者人民が負担し、清算してやらなくてはならないのか。全く冗談ではない。

 政治家やブルジョアたちは“自己責任”を盛んに言うのだから、彼らは自分の責任や負担で借金を一掃すべきであって、借りるときは自分の権力や特権の保持のために借り――つまり選挙や人気を意識し、そのために財政膨張や“バラマキ”政策に走り――、返すのは労働者人民だ、消費税だなどということが許されるはずもない。

 福田改造内閣は、一方で「財政再建」を謳いながら、他方で、選挙を意識して、ありとあらゆる“人気取り”のための支出を拡大し、この面で、「財政再建」などを全く空語に変えようとしている。

 しかも、物価上昇などに対する救済策は、「中小企業や農林水産業への支援が柱になる」と言うのである。なぜ労働者は除外されるのか、考慮の外に置かれるのか。

 政府自民党は国家財政を、それは福田内閣の“経済政策”が、もっぱら選挙で有利になるためにのみ、自らの支持基盤を固めるためにのみ、つまり事実上の買収費としてのみ、悪用しようとしている。

 彼らは漁業者の圧力を受けて、すでに七四五億円もの「原油高対策」を大急ぎで決めており、またこれからも似たようなものを次々と持ち出している。まさに「バラマキ」政策のオンパレードである。

 彼らは口を開くと「バラマキ政策はしないが」と言うが、しかしやっていること、やろうとしていることは「バラマキ政策」以外ではないのだから、彼らの厚かましさと破廉恥さには限度がないと言うべきであろう。

 だからこそ、消費税率の大幅な引き上げが必要だ、というのであろうか。つまり「バラマキ」政治の復活で国家財政がさらに破綻していくなら、国民も結局は消費税増税を受け入れる以外ないだろう、だから、いくらでも財政を膨張させても問題はない、というわけである。

 政治家たちが国家に寄生し、それを食い物にするに比例して、国民の負担が増大するという、小泉以前の自民党政治への公然たる復帰である。

 今や福田内閣と自民党は、財政再建を口にしながら、歳出削減にはどんな努力も払おうとせず、反対に、選挙に勝つためとばかりにひたすらバラマキ路線に傾斜し、財政支出の膨張を容認しようとするのである。福田も新大臣たちも、財政の膨張に、「必要なら仕方ない」とばかりに傍観を決め込んでいる。かくしてすでに破産している国家財政の状況はさらに悪化する以外ないが、彼らは一向に心配する気配もない。「政権維持だけが問題だ、国家などどうなろうと構ったことではない」のである。

 要するに、福田内閣の「財政再建」のスローガンはまっ赤ないつわりであり、空文句である。

 伊吹は「バラマキはしないが、やるべきことはする」と言うが、これは実際にはバラマキをひたすらやるという宣言である。福田も伊吹の言葉に、「いずれにせよ、選挙に勝たなくてはならないから」と応じている。

 福田は内閣改造後の最初の記者会見で、「石油価格の異常な高騰により深刻な影響を受けている方々への緊急対策を着実に実行する」、「機動的な経済運営を行っていく」と発言したが、同じ意味である。

 そして新閣僚たちは声をそろえて、“景気対策”や、農業、中小企業への緊急の支援を強調した。一般財源でだめなら補正予算でやればいい、カネなどどこからでも出てくる、とうそぶくのである、つまり選挙のためにカネをどんどんばらまこう、後のことは後のことだ(「後は野となれ山となれ」)、選挙で負けたらすべてが失われ、元も子もなくなるのだ、手段を選ばずやらなければならない、というのである。まさに、無原則と破廉恥と無政府主義が大手を振ってまかり通っている。

 福田は「安心プラン」といったものを持ち出したが、不安定雇用、失業、低賃金、物価上昇が労働者を次々と襲い、その生活を破壊し、また年金不安、医療不安が加わるのだから、そんなものが気休め以上を出ないことは自明であろう。福田は小手先細工がすでに通用しなくなっていることを知らないのであろうか。

 福田が、あれこれの小手先の対症療法をこせこせとやって、支持率が上昇するなどと考えているとするなら、それは途方もない思い違いというものであり、彼がいかに現実の情勢を理解していないかを、つまり政治家としてどんなに無能な存在であり、失格であるかを教えるだけであろう。

 彼らは一一年度までに「プライマリーバランス」(“基礎的財政収支”の黒字化)を達成すると、ここ数年(小泉内閣以来)、国民に約束してきた。どんなに矮小なものではあっても、これこそ彼らの「財政再建」路線の前進と成果を象徴する公約でもあった。

 プライマリーバランスの回復とは、国債費――政府の借金である国債の償却と利子の費用――を除いて、その年の「政策にかかる経費を新たな借金なしにまかなうかどうかを示す指標」と説明されている。つまり「借金関係はさておいて」、実際の収入と支出の均衡を実現するというものである。

 しかし今では、それは実現不可能であって、実際には四兆円もの不足が出る、と盛んに言われ始めている。そんな指標にこだわることはない、さっさと放棄してしかるべきだ、というのである。

 しかしこれは政府の公約であり、それは“誠実に”実行されなくてはならず、また実行されなければその責任が明らかにされなくてはならないはずである。新しく財務相になった伊吹は、「プライマリーバランス」について、こんな風に語っている。

 「一度決めたことだから目標は維持していくが、非常に難しいのは確かだ。ただ、福田首相の『消費税(増税)を2、3年で考える』との言葉は示唆的だ。選挙も終っているし、平成23年度にも間に合う。財政規律を守りながら、一年一年のことを誠実にやる」(産経新聞八月五日)

 「選挙も終っているし」とは、言いえて妙である。今は消費税増税の実施は言えないとしても、「選挙が終わ」ればいくらでも実行できる、というのである。

 伊吹はここではっきり語っている、つまり「プライマリーバランス」の達成は難しいがやりとげる、しかしそれは大幅な消費税増税を行うことが前提である、と。

 しかしそもそも「プライマリーバランス」の回復は消費税増税とは別に、国と政府と政治家の自助努力によって、財政のむだをなくし、“小さい政府”を実現することによって実現すると、国民に公約してきたのではなかったのか。消費税増税でやるというなら、こんな目標を掲げること自体無意味だったのである。伊吹の言っていることは根本的にごまかしであり、政府自民党の責任を回避するものであろう。

 もともとこの公約自体が矮小であって、しかも借金が増えないかに言うのは(「新たな借金はしない」云々)ペテンであった、というのは、その場合でさえ、国債利子の支払いのためには、「新たな」借金をする以外ないからである。

 というのは、この政策で言う「政策にかかる費用」の中には、利子費用は含まれていないからである。国債そのもの(借金の元本)なら、それを「借り替え」て行くことができ、たしかにここでは新しい借金は生じない、しかし利子の支払いは別であって、そのためには「新しい」借金をする以外ないのである(「政策にかかる費用」に繰りこまれていないのだから)。

 だから、仮に「基礎的財政収支」が均衡したとしても(それまでの借金を一円も減らさないばかりではない)、利子の支払い分だけ、借金は(毎年毎年、十兆円等々の規模で)ふくれ上がって行くのであり、行かざるをえないのである。

 だから「プライマリーバランス」の回復という目標自体、「財政再建」といったこととはほとんど関係がなかったのであり、当初は、小泉内閣も「とりあえず」ということで、こうした目標を提起したにすぎず、さらに徹底した「財政再建」の単なる出発点としての意義しか持ちえなかったのである。

 ところが、今や福田改造内閣は、こうした矮小な「財政再建」策、ほとんど改革の名に値しないような公約さえも重荷に感じ、反故にするというのである。

 むしろ労働者は、金融資本や金持ちたちが保有する国債をすべて無効にして、国の財政負担を清算せよと要求するだろう。

 少なくとも、十兆円もの国債利子は凍結すべきであろう。金融資本や大量の国債を保有する金持ちたち、ブルジョアたちは、すでに政治家たちとともに、国庫にたかり、国庫をさんざんに食い物にしてきたのであり、十二分に「元を取っている」のである。

 実際、自民党の政治家たちの議員としての地位と権力のために膨張させられてきた国家財政や、国家の借金に寄生して、すでに十分に利益をむさぼってきた金融資本やブルジョア層の保有する国債などを一切切り捨てて悪い理由など、すでにない。少なくとも、国債の利払いをただちに停止すべきであろう。

 そうすれば、たちまち十兆円、二十兆円の余裕が国家財政に生まれ、“国民”が納めた税金が、金融資本や金持ちの手に流れるのではなく、いくらかでも“国民”のために支出されることが可能になる。

 福田内閣は、「構造改革」や「財政再建」を空語に変えつつ、バラマキ政治によって、そして結局は消費税増税によって、政治のつじつまを合わせ、当面の危機を乗り切ろうとしているが、もちろんこうした政治はかつての自民党政治への回帰であり、福田内閣の敗北を避けられないものにするだろう。

 矛盾の根源には全く手を触れることなく、小手先だけで問題を解決できると思っているところに、福田の甘さが現われている。例えば、社会保障費の“自然増”を二千二百億円削減しながら、他方では、来年度予算には三千三百億円の「特別枠」を設け、支出(選挙目当ての、つまり“バラマキ”用の)を増やすというのである。

 そしてこうした矛盾した、姑息なやり方でもって、一方では財政再建政策を推進し、他方では、「安心実現」を実行すると、“国民”をも自分をもあざむくのであり、あざむくことができるのである。

 新内閣の顔ぶれを見ても、福田内閣のこの“志向”は明白である、にもかかわらず、彼らは自らの路線を断固として、具体的な課題として、政策として打ち出すことができないで、ただその「議論を深める」等々と言うだけである。

 もし本当に財政再建のために、社会保障のために消費税増税しかないというなら、正々堂々と“国民”に訴えて選挙をやり、支持を得るべきであろう。福田内閣が万が一にも勝利するには、それ以外に道はないように思われる、しかし福田内閣は自らのこの“信念”を――“国民”にとって、その「生活安定」にとって正しいという政策を――国民に訴えることができないのであり、訴えようともしないのである。

 しかしなぜ、労働者人民は社会保障を充実させて、彼らの生活を「安定」させる政策だというのに、強烈に反発するのか。

 言うまでもなく、消費税増税の政策が骨のずいまでブルジョアや金持ちたちの利己主義的政策だからであり、労働者人民にのみ犠牲を強いる政策だからである。

 この政策は“心やましき”政策であり、自らその正当性をあやふやにしているからである。

 自分たちの国家の費用だというのに、ブルジョアたちは法人所得や高所得への課税に一貫して抵抗し、法人税減税や、所得税の累進制の緩和――高所得者優遇策――にうつつをぬかしてきたのである。

 もしブルジョアや金持ちや政府自民党が、まず「自ら姿勢を正し」、自分たちへの増税から始めたなら、そしてその後に消費税増税を謳ったなら、労働者人民の反発もいくらかは弱まったかもしれない、しかし彼らは自分たちにはさっさと減税をやりながら、“大衆課税”の消費税率だけはいくらでも引き上げるというのだから、そんな利己主義に、労働者人民が反発し、怒りに燃えて立ち上がるのは当然というものであろう。

 福田内閣が消費税増税のみが財政再建のかぎだと言いながら、それを実行に移すことが出来ないのは、彼ら自身がやましい観念に取り付かれているから、本当の信念を欠いているからである。彼らは労働者人民の強烈な反発を恐れなくてはならない十分な理由を持っているからである。

 自民党の政治は完全に行き詰まっており、すでに“国民”から完全に愛想をつかされている。彼らは三年前の小泉選挙で大勝したことをもって、「民意の支持を得ている」と言い張り、新しい総選挙から逃げてきたが、このこと自体が、彼らがどんなに自信を喪失し、「民意」が自分たちから離れ去ってしまったことを自覚しているかを教えている。

 安倍内閣も福田内閣もともに選挙を恐れること蛇蠍の如くであって、できるだけ引き延ばすことだけに汲々としてきた。選挙をすれば、確実に負けると分かっているのである。

 にもかかわらず、福田内閣は、状況を切り開いていく展望も政策も示すことができなかった。まるでへびににらまれたカエルのように麻痺状態におちいり、身動きさえできないのである。古い自民党に戻って選挙で支持されるとは思われないのだが(そんな自信もないのだが)、そこに帰って行くしかないのである。

 彼らは安倍内閣が参院選で大敗北をこうむったのは、小泉改革路線のためであり、古い自民党が“壊された”せいだと総括したが、その結果として、小泉以前の自民党に戻るしかなく、“族議員”のヘゲモニーが復活し、“バラマキ”政治が大手を振ってまかり通ることになったのである。

 敗北するとわかりきっている路線にしがみつく以外ないところに、自民党政治の命が完全に消えかけていることが暴露されている。麻生を取り込めば選挙で有利だなどといった浅知恵を働かせることしかできないのだから、福田の、そして自民党の命脈は尽きたも同然である。麻生が仮に「アキバ」で空っぽの人気があろうと、それは“国民的な人気”といったものとは全く別であろう。安倍は没落したのに、麻生には人気が集まる、などというのは幻想でしかない。

 福田改造内閣の本性は、一方における「財政再建」派(つまり消費税増税派)を置き、他方に、財政膨張派の保利政調会長等を据えてみれば明瞭に見えてくるだろう。

 つまり、財政再建などは建前にして、選挙で勝つために無節操、無原則にカネをバラまき、それでもって一層財政破綻が深化していくなら、消費税増税(露骨で厚かましい大衆課税だ)をやればいいといった、その場かぎりの、最も無責任で、寄生的で、収奪的で、破廉恥な路線である。

 最近、自民党内部には、“財政再建”について二つの路線の対立があった、すなわち小泉“構造改革”路線の延長に立つ「上げ潮」路線――あくまで“構造改革”を推し進め、“小さな”政府を実現し、「経済成長」を勝ち取ることで、財政再建につなげようする、中川秀直に代表される路線――と、与謝野や伊吹らに代表される「財政再建派」路線――これは要するに消費税増税によって端的に財政再建を実現しようという路線――の対立である。

 そして福田は、前者を切り捨て、後者を優遇することによって、自らの立場を明確にしたのだが、しかしだからといって、ただちに消費税増税を実行に移そうというのではない。そんなことをしたら、ただでさえ苦戦が予想される総選挙で大敗するのは確実である。

 しかし自らが信奉する決定的な政策を封印して選挙戦をやるというのだから、ただこのことだけでも、福田内閣が勝利から見放されていることは明らかであろう。こんな勢力は自らを鼓舞することも勇気をもって闘うこともできず、意気消沈するしかないのである。自らが信奉する政策を封印するなら、どんな断固とした、一貫した闘いも行うことができず、まして勝利することなど夢のまた夢であろう。

 中川は福田路線では自民党は勝てないと予感して、自らのホームページで次のように主張する。

 「2005年の小泉自民党のように、党分裂覚悟で改革の旗を掲げない限り、選挙には勝利できない。郵政民営化の見直しの動きが色々な所にあるようだが、わが党でも見直しの動きが出てくるかは注視したい」

 自民党が“古い”自民党に戻って、選挙で勝つことはできないという中川の判断は正しいだろう。

 小泉が三年前に大勝したのは、とにもかくにも小泉が“古い”自民党の破壊を呼びかけ、「改革」(ひどいインチキ改革であったにせよ)を謳ったからであって、安倍内閣、福田内閣が停滞し、“国民”の支持をますます失って行ったのは、これらの内閣が“古い”自民党を代表しているとみられたから、小泉政治より後退し、逆戻りしているとみなされたからである。

 そして、福田は小泉のインチキ改革では自民党はじり貧に陥るしかないと結論し、一切の“古い”自民党的なものと妥協し、それと融合した。福田内閣は“構造改革”を一切棚上げし、バラマキ政治を公然と復活させ、また消費税増税さえ実現すれば「財政再建」を始め、「福祉」問題などすべての国の困難が解消するかの幻想に後戻りした。消費税増税でなければ、借金財政で行くしかないというところに行き着くのも「時間の問題」かもしれない。

 国家に寄生するだけの“バラマキ政治”も保護主義も今は公然と“復活”し、族議員たちもみな大手を振って闊歩しつつある。

 麻生幹事長の実現に代表されるように、安倍内閣の挫折によって深刻な打撃をうけた反動政治家たち、国家主義の悪党たちも“復権”をとげつつある。

 改造内閣はどんな魅力も持っていない、というのは、単に“古い”自民党に先祖返りしただけだからである。彼らは小泉“改革”を経て一回りし、元の自民党に帰ったし、帰らざるをえなかったのである。彼らは昨年の安倍の敗北を、小泉“改革”のせいだと誤って総括し、その結果として、“古色蒼然”とした自民党路線に復帰したのだが、そんなものはすでに“国民”からすっかり見捨てられていることを理解できないのである(あるいは理解できても他の道を知らないのである)。

 彼らは農民や漁民、中小企業の支援は口にするが、労働者については「補償」とか「緊急支援」について語らず、まさにその階級的本性を暴露している。彼らは急激な物価上昇によって、どんなに労働者の賃金や貯金、年金などが目減りし、労働者の生活がたちまち悪化して行こうと知ったかぎりではないのである。

 福田内閣はますます“古い”自民党へと回帰し、狭い、“うち向きの”政治に閉じこもるのであり、それでもって選挙に勝てると思い込むことができるのであるが、それほどに愚劣な思い違いはないのである。

 かくして、徹底的に反動化し、完璧に行き詰まった福田改造内閣の行く末は明らかである、すなわち労働者人民の総反撃を受けて敗北し、打倒されるしかないのである。

 問題はすでに、その後に何が来るのか、である。

 最後に一つだけ言っておくと、民主党は七月、原油価格の高騰を受けて、総額二兆七千億円の「緊急経済対策」を策定したが、こんなものは、政府自民党とバラマキ政治で競い合おうということでしかなく、客観的には自民党政治の補完の役割を果たし、その政治の延命に手を貸すという意義しか持ちえないのである。

 参院選で小沢が、農民保護で自民党と競い合ったと同様な政治、自民党の政治をまね、その枠内で張り合おうというこでしかない。民主党が勝とうが負けようが、労働者にはどんな関係もない。労働者の政治は民主党とは(そして共産党や社民党とも)全く別個のところで始まらなくてはならないのである。


【主張】
七年越しのWTO交渉の決裂
再び世界分裂と抗争の時代か

 自由貿易の深化を目指した、七年越しのWTO交渉が決裂した。

 農業関係者らはホッとしているが、しかしこの決裂が日本にとって――日本の労働者にとって――利益だと言うことはできない、というのは、これは自由貿易主義が敗北し、保護主義の論理がまかり通ったということだからである。

 決裂の直接のきっかけは、インドと米国が、農産物の特別緊急輸入制限の発動条件で対立し、妥協が不可能になったことにあるが、それ以外にも、参加国間には多くの利害対立があり、インドと米国のこの対立が、それを集約し、象徴したとも言える。

 世界中の諸国家は、建前は自由貿易やグローバリズムを唱えながら、国家的利己主義や自国優先主義を徐々に強めており、経済的危機が深化して行けば、こうした傾向が一挙に強まりかねないことを示唆したともいえる。

 日本もまた矮小な農業保護主義に固執して孤立し、どんなヘゲモニーも発揮できず、守勢的姿勢に終始した。世界のブルジョア諸国家にはびこる頽廃的傾向を代表したとも言える。

 日本は米国やオーストラリアなどと、農産物の関税問題で対立し、輸入関税の引下げを要求され、飲まされたのだが、WTO交渉の決裂で安堵の溜息をもらすことになったのである。

 しかしそれが“国益”につながったかとなると疑問であって、むしろ“国益”を大きく損なったと言った方がはるかに正しい。

 というのは、まず第一に、そのことによって安価な外国の農産物の消費を自ら諦めたからであり、第二に、国内の農業の「構造改革」を、つまり大規模農業に移行するきっかけをまたまたなくしたからであり、さらに最後に、より安価に工業製品を外国、とりわけ高関税で自国産業を防衛している発展途上国により多く売り込むことができなくなったからである。

 実際、農業関係者が決裂に大喜びしているのに反して、電機資本や自動車資本は大きな失望を味わっている。自動車資本などは、例えば、インドやブラジルに自動車が輸出できるなら、農業で妥協するなど重大事では全くなく、農業への打撃――実際の、あるいはむしろ空想上の――を補って、さらにおつりがくると考えるのである。

 というのは、自動車はインドでは六〇%、ブラジルは三五%等々の高い輸入関税が課せられ、輸出がひどく制約されているからである。これらの国家が関税を大きく引き下げるなら、停滞する米国市場に代わって新しい市場が期待できるというわけである。

 農業保護主義はまた、日本の農業の停滞と衰退の原因ともなってきた。保護主義のために――とりわけコメなどのごく一部の農産物への徹底した保護主義のために――、日本の農業は全くゆがんだ、偏頗(へんぱ)なものになってきたのである。大規模な農業が展開されたなら、コメの生産は世界に対抗できるコストで、十分に自給できる産業に育ったであろう。平野部だけで国内の需要を満たすことができ、休耕田などといった奇妙で、不合理なものの存在する余地はなかったであろう。山間地の狭隘な土地で無理をしてコメを作る必要もなく、それらは他の用途にいくらでも利用されたであろう。

 そして日本の工業もまた一層合理的に再組織、再編成され、一層安いコストで世界中に輸出されたであろうし、労働者に対する搾取もその分緩和されたであろう。

 労働者は保護主義か、自由貿易かと問われるなら、つねに一貫して、自由貿易主義に味方してきたのであって、それは、自由貿易が一層資本主義的発展を、つまり生産力と社会一般の前進を保障するからであり、その分、社会主義の実現への接近だからである。

 直接的にも、自由貿易によって、労働者階級はより安価な工業製品や食料品を手にすることができるのであって、それはまた搾取の実際的な緩和を意味し、労働者の生活に一つの余裕をもたらすことができるのである。

 だから、労働者にとって、長期にわたって延々と続けられてきたWTOの交渉が土壇場になって決裂したということは決してどうでもいいことではない。WTOは、二国間の貿易協定等々――これは本質的に国家利己主義の一つの現れでしかなく、WTOとは全く別個のものである――といったものによって代替され得るものではない。

 かつて第二次世界大戦後、WTOの前身であったガットの自由貿易主義と、それにもとづく国際的交渉や合意は、平和で繁栄する戦後世界の象徴として、明るい希望の的となることができた。

 しかし今や、“先進国”にインドや中国やブラジル等々が加わり、世界中の国家の利害関係は一層複雑で錯綜したものとなり、世界的な“合意”の形成は一層困難になったかに見える。

 それに加えて、米国の“指導力”、覇権力もとみに低下し、世界は分裂傾向を強めている。

 しかし世界的な規模の自由貿易が停滞し、保護主義や“地域主義”、ブロック経済等々がはびこることは、世界人類にとって少しも好ましいことではない。

 我々はすでに一九三〇年代、似たようなブルジョア世界の分裂と国家的利己主義と戦争の時代を経験しているのである。

 労働者はいつの時代にあっても国際主義者であり、民族主義や国家主義に対する一貫した、頑強な反対者であった。

 もちろん、労働者階級はブルジョア的“国際主義”、つまりグローバリズム等々を決して支持せず、その自由主義的欺瞞と限界を暴露するのだが、しかしまた民族主義や“地域主義”や国家主義等々の高まりに対して常に警戒を怠らず、その危険性、その反動性を明白に指摘し、闘うのである。


【草枕】
労働者の“悪い友”

 「蟹工船」ブームなどに勢いづいて最近、共産党がいくらか左翼ぶって見せている。例えば、委員長の志位君は朝日新聞(7月29日)のインタビューに答えて言う。

 「資本主義の『もうけ第一主義』が貧困と飢餓、投機マネーの暴走、地球温暖化などをつくりだした。いずれも人類の生存にかかわる問題で、『資本主義で一体やっていけるのか』という問いかけが出てきた。その問いに答えられる党は共産党しかない」

 一方、前委員長の不破君もまた毎日新聞(8月4日)の取材に答えて、「いまや20世紀には予想もつかなかった激しさで資本主義の矛盾が噴き出している」と強調してやまない。

 言やよし。この現状認識から出てくる実践的結論はもちろん自ずから明らかであろう。ところが、両者の提示する処方箋は相も変わらぬ卑俗矮小な改良路線以外の何ものでもなく、志位君の答えは「国民の利益にかなった政治を一歩でも二歩でも前に動かすため、あらゆる知恵と力を使っていく」というものでしかない。

 不破君はもう少し“高尚”で、記者氏によれば「資本主義の暴走をどうコントロールするか。その点を聞くと、不破は経済史を縦横に引いて答えてくれたが、私の理解の及ぶところではなかった」という。彼一流の衒学的おしゃべりで記者氏を煙に巻いたのだ。

 要するに、この期に及んでなお彼らの目標は資本主義の根本的変革ではなくて、部分的な改良でそれを維持・温存することでしかない。そして、実にこの反動的精神で数十年にわたって労働者階級に害毒を流し続けてきたのである。

 志位君は「蟹工船」ブームの背景について「戦前的な野蛮な奴隷労働が新しい残酷さをもって復活した」とか解説する。しかし、労働者階級が今の悲惨な状況に追いやられた原因の一半が彼らが促進してきた労働運動の階級的解体にあることは明白ではないか。

 彼らはその反省もなく、今度は萌し始めた労働者の反資本主義的意識を再び体制内に押し込めるためにもっともらしい左翼的おしゃべりを弄するのだ。

 (WM)


【コラム】
飛耳長目

 ★昨年、スペインでは「歴史の記憶法」(正式名称は「内乱と独裁期に迫害を受けた人々のための権利承認と措置を定めた法」)を制定した。その目的は、正式名称が示すとおり、フランコ政権によって弾圧された人々に対する名誉回復と救済であり、具体的内容はフランコ独裁政権下で下された政治犯に対するすべての有罪判決を違法とする、フランコ政権下の犠牲者や遺族への年金や賠償金の支給、公共施設からフランコを称えるシンボルの排除などである★産経新聞(7月31日)は、人民戦線の兵士としてフランコ軍に捕まり、28年間投獄された元コムニスト・アナの「私たちは誰も非難するつもりはない。ただ、名誉を回復してもらいたいだけだ」という言葉を引き、法律がフランコへの非難や責任追及を行わないことを「寛容の精神」のあらわれとして高く評価している★「歴史の記憶法」はフランコの「負の遺産」の清算として社会労働党政府らが言いだしたことである。しかし、迫害された人々の名誉回復と生活援助にとどまり、フランコ政権に対する批判や責任追及を避けては、「負の遺産」の清算の意味をもたない。「負の遺産」の清算とは、再びフランコのような反動的政権の登場を許さないことであり、アナの言うような「誰も非難するつもりはない。もう過去のことだ」などといって済ませられることではない★「歴史の記憶法」を国民同士の対立、分裂を避けようとする「国民の成熟」の現れと美化してやまない産経新聞の記事には、帝国主義戦争で国内外の大衆に計り知れない犠牲を強いた日本の軍国主義者やファシストを免罪にする反動派の意図が込められている。

 (騏)


【二面トップ】
派遣労働そのものの禁止を
やっと日雇い派遣の禁止
これでは労働者の地位は変わらない

 労働者派遣法が「規制強化」の方向で改正されるという。日雇い派遣を含めて、三十日以内の登録型派遣の原則禁止や、大企業などが“下請け”派遣会社を通じて同じグループの企業に派遣する労働者の割合を八割以下にするといったことが議論されている。一貫して「規制緩和」されてきた、労働者保護が再び強化される方向に転じたことは意義があるとはいえ、この保護政策そのものは全く矮小なものであって、ほとんど労働者保護の名に値しないものである。我々は、その意義とともに、否むしろそれ以上に、その根本的な限界を明らかにしなくてはならない。

 我々は労働者保護の強化の意義を確認するとともに、日雇い派遣の禁止といったことは、余りに矮小な“改革”であって、労働者の地位をほとんど変えないと強調し、さらに徹底した資本の専制に対する規制を要求する。

 実際、なぜ日雇い派遣だけの禁止なのか、登録型派遣全体の禁止ではないのか、日雇い派遣はただ登録型派遣の矛盾、その本性を鋭い形で暴露しているだけであって、登録型派遣が存在する限り、形を変えた、短期派遣もまたいくらでもはびこってくるであろう。

 登録型の派遣会社は急速に増えて、いまでは一万社になんなんとしているという。こうした企業は規制に値しないというのか。

 そしてさらにまた、なぜ登録型派遣労働の禁止にとどまらず、派遣労働(ピンハネ労働)一般の禁止にまで進まないのか。

 ブルジョア的改良策は、派遣労働の禁止でも、また登録型派遣労働の禁止でさえなく、日雇い派遣を禁止するだけなのである。

 こうした改良は全く矮小なものであって、抑圧され、資本によって「労働力」として、つまり“モノ”として搾取されている労働者の地位をほとんど変化させない。

 そしてこうしたわずかな改良さえも、「日雇い派遣で生計をたてているのはせいぜい二割、日雇い派遣を禁止したら、労働者の雇用機会を奪うことになる」等々の、ブルジョアたちの合唱によってたちまち骨抜きにされかねないのである。

 しかしこうした理屈は、資本による搾取体制を前提にし、労働者の不安定な地位を前提にしての議論、つまり日雇い派遣によってしか収入が得られないような労働者、潜在労働者が広汎に存在するから、こうした制度も存在意義がある、ということ以上ではない。

 そして本当に考えられなくてはならないのは、一部の“非正規の”労働者の問題ではなく、一千万人をはるかに越える“非正規の”労働者全体の問題、その地位の問題である。

 彼らのひどく搾取されている地位はどうするのか、その低賃金や弱い立場はそのままでいいのか。

 “非正規の”労働者の地位は不安定であるだけではない、その賃金は一般労働者の二分の一、三分の一といった水準に押し下げられているのであって、こうした膨大な労働者の賃金や地位を根本から変革することが課題なのであって、単なる日雇い派遣だけを禁止すればいい、といったことではない。

 政府や役所は、教育訓練や職業紹介、カウンセリングなどを充実させ、若者にほどこせばいい、といった安易なことを言っている。

 しかしこうしたことさえもほとんど行われていないことはさておくとしても、仮に行われたところで、企業自身が労働者に望むところが違うのだから、ほとんど無意味な試みでしかない。

 こうした機会は極端に狭いものであるばかりではない、日々の生活に追われている日雇い派遣などの労働者にとって、全く無縁なものである。こんな小手先のもので、非正規の労働者の問題が解決できると考えるとするなら、ブルジョアたち、政治家や役人たちは何という能天気な連中であることか。

 労働者派遣法は一九八五年に成立し、それ以降、ブルジョアたちの強い要請のままに、一貫してその適用が緩和、拡大されてきた。そして今では、この資本の支配する社会の中に根をおろし、“定着”するまでになったのである。

 根底にあるのは、資本のあくなき搾取欲であり、労働者を自由に、欲するときに、低賃金で雇い、首を切りたいという強い志向であり、欲求である。

 “正規”の労働者では、首を切るのも不自由で、“労務費”がふくれあがって行くから、簡単に低賃金で雇い、また不況にでもなれば容易に首を切れる“非正規の”無権利の労働者が必要だということである。

 資本のこうした要求があったからこそ、政府自民党は日雇い派遣でも何でも容認して来たのであって、今さら、それを「禁止」するなど欺瞞もいいところである。それくらいなら、労働者派遣法そのものの廃絶を考えるべきなのである、それを制定したこと自体を総括し、反省すべきなのである。

 この二十年の経験は、資本は社会的な制約がないなら、労働者をどんな風に扱うのかを決定的に明らかにしてきた。つまり労働者保護が後退するなら、「規制緩和」などがまかり通るなら、資本の専制が行きわたるなら、労働者は絶望的な地位に追いやられるしかない、ということである。

 だからこそ、労働者階級はマルクスの生きていた時代から一貫して、労働者保護を要求し、またそのための法律を勝ち取ってきたのであって、自由競争の“貫徹”や「規制緩和」等々はそれに逆行し、歴史を二百年も三百年も後戻りさせたのである。

 労働者は今こそ資本の恣意に対する規制と制約を要求するのであって、しかもこの要求は単なる日雇い派遣の禁止に留めてはならないのである。

 さてブルジョア陣営は、資本の専制に対するささいな規制強化に対してさえ反発し、日雇い派遣の禁止などは必要はない、現行の制度の上で、法律順守を徹底させていけばいいのだ、といった理屈を持ち出している。

 ここで、政府の経済財政諮問会議の“民間議員”であらせられる八代尚宏教授にご登場願うことにしよう。

 「二重派遣やピンハネなど、日雇い派遣の会社の違法行為が問題になっているが、これらは労働基準法や労働者派遣法など現行法の違反だ。いまある法を厳守させるべきで、『違法行為が多いから禁止』というのは、労働行政の怠慢だ」

 「『派遣が悪い働き方だから禁止』、ではなく、労働者保護を強化して、派遣をよりよい働き方にしていくことが問題の解決につながる。日雇い派遣禁止に反対するのは企業のためと思われがちだが、働く人のためにこそ必要だ」(朝日新聞八月三日)

 この卑しい人物は、日雇い派遣を廃絶することが労働者保護ではなく、それを存続させることこそ保護であり、労働者の利益である、といった転倒した理屈でもって、自分をも他人をもあざむくのである。

 超短期の就労形態(“日雇い派遣”等々)を望むようなごく少数の労働者もいるかもしれない(そんな労働者がいるとするなら、彼は極めてブルジョア的な環境にいる、特権的な“労働者”であって、広汎な単純労働者、生産的労働者ではないだろう)、そしてそんな労働者の存在を口実に、日雇い派遣、あるいはもっと一般的に“日替りの”就労といったものを擁護し、正当化しようというのである。

 しかし、そんな特殊な“労働者”の経験を一般化して、労働者全体にあてはめようとするなど途方もないことであって、ブルジョアたちの汚い意図――労働者を一層野蛮に、非人間的に搾取しようという――を蔽い隠す以外の、どんな意義も持ちえないであろう。

 八代は、派遣制度自体が「ピンハネ」の制度化である、ということがわかっていないのである。企業が“日雇いの”(超短期雇用の)労働者を仮に必要とするとしても、それがどうして「派遣」制などを(昔風にいうなら“口入れ”稼業だ)媒介にしなくてはならないのか。企業自体の責任で、直接に労働者を雇えばいいのであり、そのための手段はいくらでもある。派遣法が制定されるまでは、企業は必要な場合、いつでもそうしていたのである。

 企業に法律を順守させれば済むことだと簡単に言うが、しかし企業は道徳よりも、法律よりも、儲け(労働の搾取)を重視するからこそ、それが本性であるからこそブルジョア企業である。資本の体制の問題が道徳でかたがつくというなら、資本による労働者の搾取や非人間的な扱いといったことは最初から存在しないのである。

 実際、企業に法律厳守を期待するのは、「百年河清を俟つ」に等しい、というのは、彼らの目的は労働者の生活や健康や利益ではなく、自らの利潤であり、それを膨らませて行くことであり、資本にとっては、労働者は人間である前に、単なる搾取材料でしかないからである。

 それに法律を守るといっても、そこにはいくらでも解釈次第の、運用次第の余地があるからである。

 また八代は、大した根拠もなく、日雇い派遣の労働者の七割は、自ら好んで、こうした就労形態を選んでいるのであって、だからこれを禁止したら、大部分の労働者は大きな痛手をこうむる、労働者の損失になる、と強調している。

 しかし、こんなことは本当だろうか。

 八代のもちだす統計数字はいいかげんなものであり、その問いの形式からして検討されなくてはならない。失業し、仕事が見つからない労働者にとっては、日雇い派遣でも、仕事がないよりは増しに見えるのは当然であって、だから質問の仕方によって、いくらでも、労働者が日雇い派遣を望み、期待しているかの数字をでっちあげることができるのである。

 だから、八代が日雇い派遣の七割が、自ら進んでこの制度を望んでいるなどと主張するのは、半デマゴギーのようなものであって、少しも信用できないのである。少なくとも、工場で生産的労働に従事する“非正規の”労働者にとって、こんな数字が現実から遊離したいんちきであるのは、余りに自明だろう。

 かくして八代の結論は、「働き手の選択を狭めるな」といったものである。

 まるで、派遣労働によって、労働者は「職業選択の自由」を得ているかであるが、そんな現実はどこにもないのである。せいぜい、最低、最悪の条件でも働くか、働かないかの、ぎりぎりの「選択」が、そこにあるにすぎない。

 こうしたごまかしの主張やへりくつを並べながら、ブルジョアたちは、労働者の反発や闘いの発展におびえて、わずかな改良と引き替えに、労働者派遣法の体制――野蛮な搾取体制、“ピンハネ”体制――はそのままに温存し、継続しようというのである。

 また、川崎二郎は、労働者の味方として発言し、「『使い捨て』の雇用にメスを入れよ」と呼びかけながらも、次のような妥協的な結論を導きだしている。

 「ただ、規制強化へとすべてカジを切るべきではない。共産、社民、国民新党の3党は、仕事があるときだけ派遣会社と雇用契約を結ぶ『登録型派遣』について、原則禁止を求めているが、一気に禁止すると現実の雇用形態が崩れてしまい影響が大きい。製造業を中心に景気の落ちこみも予想されており、そうした経済状況をみながら判断していくべきだろう」(朝日新聞、同)

 彼は要するに、資本に対する規制を強化するにしても、企業の都合も考慮せよと主張するのだが、しかし資本の立場や利益などに配慮するなら、どんな断固とした、どんな一貫した、労働者のための規制も改革も不可能であろう。

 実際、労働者派遣法の体制のもとで、労働者の地位の悪化は急速に進み、労働者は資本の専制と搾取のもとで呻吟している。

 短期のバイトや日雇い派遣で生活し、週四十時間働いて収入が十二万円程度、家賃にその半分近くが消え、しかも何の展望も希望も生活の目的も見出せず、しかも孤立し、友人も恋人なく、“家族”さえも無くしているような人間が、誰であれ、絶望に陥らないでいられるであろうか。こうした労働者が数百万も数千万も存在するような社会は、恐ろしい非人間的な社会であり、根底から転覆され、変革されるべきではないのか。

 問題は単に日雇い派遣を禁止することでなく、労働者の不安定な地位そのものを廃絶することである。労働者の地位そのものには何ら手をつけることなく、日雇い派遣だけを問題にするのはブルジョア的欺瞞というものであろう。


【各地の“草の根”政治】
神奈川/階級的視点が必要だ
原子力空母反対闘争

 去る七月十九日、米原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀基地配備に反対する集会が労働者・市民ら約一万人を結集し基地近くの公園であった。

 そのジョージ・ワシントンは五月に太平洋上で火災を起こし現在修理中で、横須賀配備が九月以降に延期された。

 この事故に関して当初、外務省は「ボヤと聞いている」と横須賀市に繰り返し伝えていたが、実態は艦内の一部は高熱で鉄製の内壁が溶けたり、ゆがみが生じたりするなどの大きな損傷を受けていたことが明らかになった。

 この事故もあり、多くの参加者が集まった集会では「安全性が確立していない原子力空母の母港化撤回」などを求めるアピールが採択され、その後デモが行われた。

 横須賀が米空母の母港になったのは三十五年前のミッドウェーの入港が始まりで、それ以来インディペンデンス、キティホークと継続され、空母一隻・揚陸指揮艦一隻・イージス艦十一隻が現在配備されている。在日米軍全体の兵士数総計五万人のうち約二万人の海軍の大半が横須賀に配置されている。

 このため事故や犯罪の多発、さらに厚木基地周辺の爆音被害が深刻である。空母が横須賀基地に入港している間の艦載機の訓練・駐留基地として厚木基地が使用されるからだ。特に八二年から始まった夜間離着陸訓練(NLP)は深刻な被害を住民にまき散らしている。

 そして原子力空母の配備だ。〇五年に日米両国政府は三年後の今年、原子力空母を同基地に配備すると発表した。

 原子力空母の危険性については炉心設計に余裕が少ない、海難事故による原子炉破損の可能性、原子炉と高性能火薬・航空燃料の同居、戦闘による原子炉破壊の可能性などがあげられ、もしも東京湾内で事故が起きれば犠牲者は百二十万人以上にのぼるとの試算もある。

 こうした問題が原子力空母の母港化に反対する住民運動を巻き起こしたのだが、その運動は署名活動や地方議会での攻防といった形で行われた。

 まず行政側の動きを見ると、原子力空母横須賀配備発表の翌年には横須賀市長が政府自民党などの執拗な圧力で、それまでの通常型空母の母港それ自体は認めるが原子力空母には反対という態度を変え、二回開催された「市民の意見を聞く会」(公正とはとても言い難い人選、運営がなされた)で市民の意見は充分聞いたとして、容認に転じた。

 これを受けて例の産経新聞は「アジア太平洋の平和と安定を維持する役割を担っているのが米空母の存在だ。米軍と自衛隊が協力して抑止力の実効性を高めることで日本の安全も確保されていることが、自治体レベルでも理解されてきている意味は小さくない」などと書き立てたが、その直後に行われた神奈川新聞社の緊急アンケートには六〇%の住民が市長の容認は許せないと答え、住民の間に反発が広がった。

 続いて態度をハッキリさせてこなかった松沢神奈川県知事も原子力空母の横須賀配備を受け入れる態度表明をした。

 行政側の受け入れ容認の動きに対して、「原子力空母母港の是非を問う住民投票を成功させる会」が結成され、住民投票条例の直接請求を求める活動を開始し、昨年の一回目は法定数の約六倍、四万人近い署名を集めたが、横須賀市議会はこの条例案を十対三十一で否決した。

 再度行われた今年も、賛成八、自民、公明、民主系などの反対三十三、退場一で否決された。この際共産党は、採決後に行われた国に原子力空母の安全性の確保と防災体制の強化などを求めるという何の効力も無いアリバイ的な意見書の採択に賛成し、実質的には容認と大差ない立場をさらけ出した。

 このように反対運動が進めてきた住民投票条例の直接請求が敗北し運動そのものが行き詰まったのは、資本に対する闘いの視点を欠いたものである以上最初から明らかではあった。

 米軍は今、世界規模での再編を進めており米軍が駐留する主要な国では基地の縮小と兵力の削減が行われている。しかし日本では在日米軍再編という名目で逆に米軍基地の強化と兵力の増強が進んでいる。

 もちろん日本の資本とその政府も現在は日米安保条約を堅持し協力関係を保ち米軍への様々な便宜を計っている。

 しかし仮にその関係が解消し米軍が日本から出て行ったとしても、その後には軍拡を進め、漁船を沈めたイージス艦事故に見られるように横暴ぶりを露わにしつつある自衛隊が居座るのであり、基地問題は根本的には何も変わらない。従ってどちらにしても基地問題を解消する闘いは究極的には資本に対する階級的闘いと結びつくこと以外あり得ないのである。

 (横浜・K)


【三面トップ】
ベトナムでもODA汚職
ワイロは“商習慣”と
居直るコンサルタント企業家

 建設コンサルタント大手のパシフィックコンサルタンツインターナショナル(PCI)が引き起こした、ODA(政府開発援助)汚職をめぐる東京地検特捜部の捜査が、いよいよ本格化しようとしている。ムネオハウスやケニアの水力発電所建設など、あの鈴木宗男の一連の“怪しい画策”について、「疑惑の総合商社」と言い放った国会議員もいたが、それをそっくりそのまま献上したくなるほど、PCIは疑惑と汚辱に満ちた企業である。

 ◆発覚したヴェトナム援助疑惑

 これまでに、3人の社長経験者を含め、関係者9人が特捜部に逮捕されている。

 今回、捜査が本格化しているのは、対ヴェトナムODAに関する事件。ヴェトナム戦争終結まで、サイゴンと呼ばれた現ホーチミン市の下水道や高速道路建設のコンサルタント業務を受注した見返りに、同市の公務員に03年と06年の2回にわたり、少なくとも現金22万ドルを渡した、という疑いである。

 労働者の平均賃金が100ドル程度のヴェトナムで、この額は十分威力を発揮したようだ。PCIは、高速道路事業を約31億円で、下水道工事は約19億円で、それぞれ“無事”受注した。

 捜査対象の人物は、01年12月にPCIを退職した元幹部。彼は、東南アジアでリベート工作をするため香港に設立された法人の元代表だった。

 この法人は、PCIから送られてくる裏金の受け皿と見られていて、PCIの経理担当取締役が、送金のための会計処理をしたことを特捜部に認めている(取締役は脱税容疑で逮捕されたが、処分保留で釈放された)。

 ◆捜査の“武器”をなぜ使わない

 ところで元幹部が問われた容疑は、刑法の贈賄罪ではなく、「不正競争防止法」の「外国公務員等に対する不正の利益の供与等の禁止」条項の違反である。これは、98年に同法の改定条文として加えられたもので、日本もメンバーの経済協力開発機構(OECD)加盟国が97年に「外国公務員への贈賄防止条約」に署名したことに伴い、国内法整備の一環として制定された。

 それまで、日本企業が外国公務員にワイロを贈っても直接適用できる法令がなかったのだから、「武器」を手にした捜査当局はいさんで摘発に乗り出した、といいたいところだが、残念ながらハズレ。制定からの10年間で、適用はわずか1件だけだった。

 それは、指紋照合システムを売り込むため、フィリピンの国家捜査局の元長官らにゴルフセットを送ったとして、九州電力のグループ企業、九電工の社員2人が昨年、略式起訴されたケースである。

 まことにみみっちい事件で、ODAをめぐる底知れない深い闇からすれば、九牛の一毛でしかない。

 その前の02年には、モンゴルにディーゼル発電施設を無償供与するODA案件で、三井物産の社員が政府高官にワイロを贈ったことが明らかになった。東京地検特捜部は不正競争防止法の適用を図ったが、結局、見送られた。

 付記すると、三井物産は同じ年、“ムネオ疑惑”の一環とされた北方4島の1つ、国後島のディーゼル発電設置案件でも、社員が偽計業務妨害罪で逮捕される事件を起こした。

 これらは社長と会長の辞任騒動にまで発展し、ついにODAの無償援助案件から手を引くハメに陥った。ところが今年5月になって、「社内の管理強化」を理由に無償援助参入の“復活”を表明した。

 そりゃそうだ。何しろ日本政府はこの5月の「第4回アフリカ開発会議」(横浜市)で、対アフリカ援助の倍増を国際公約に掲げたのだ。あざとい商社が、テンコ盛りの「おいしい援助案件」を黙って眺めているわけはない。

 ◆汚職に寛大な日本

 それにしても捜査当局は、日本企業による海外での贈賄工作にきわめて“寛大”だ。おかげで05年、OECDから贈賄防止対策が不十分として、是正勧告を受け、翌年には捜査と訴追を強化するよう求める文書を突きつけられてしまったほどだ。

 もっとも、(あとで検証するように)この条文を厳格に適用したら、かなりのODA事業が支障をきたすことだろう。

 今回のPCIをめぐる疑惑では、ヴェトナム政府が捜査協力を表明し、司法当局がホーチミン市公務員から事情聴取をおこなったし、特捜部検事が立ち会うこともできた。

 最大の援助国ニッポンからの申し出に応じざるを得なかったのか、はたまた容疑者が「小物」の公務員で、さしたる影響がないと判断したためなのか――真相は不明だ。

 ただ、不正競争防止法では、贈賄側だけに罰則規定があり、収賄側は罪状が明瞭でも処罰されないから、「自国民の不訴追保障」のあることが、一定の影響を与えたとみることはできるだろう。

 ◆PCIの数々の疑惑

 ともあれ、「疑惑の総合商社」たるPCIの事件は、これだけにとどまらない。順を追って整理してみよう。

 まずは、ワイロのための裏金捻出疑惑だ。舞台は中国。案件は、旧日本帝国軍が中国に遺棄した化学兵器の処理事業である。

 これは、中国各地に遺棄された毒ガス兵器を発掘し無害化する事業で、99年度から07年度までに税金が(予算ベースで)683億円もつぎ込まれた。

 この案件を受注してきたのが、PCI傘下の「遺棄化学兵器処理機構」である。一見、“公共事業体”のような名称だが、PCIの持ち株会社が100パーセント出資した、れっきとした株式会社で、04年以降、内閣府から処理事業のコンサルティングを独占的に受注している。

 PCIはその処理機構から一部事業の委託を受け、これを都内の設計会社4社に再委託。そのあいだにグループ会社PPM(パシフィックプログラムマネージメント)を介在させる架空取引をおこない、合計1億2000万円をひねり出したという。

 さらにPCIは、04年度に処理事業の受注額を水増し請求し、国(内閣府)から1億4100万円を詐取したとして、前社長が逮捕されている。

 これらのカネの一部が、裏金として香港の“受け皿”法人に、「調査費」名目で送金されていたというのだ。

 PCIは02年4月から昨年11月までの期間に、ODA事業を(共同企業体ふくめ)約400件・計約650億円も受注している。これらの受注工作に、香港法人の裏金がさぞや“有効”に活用されたのだろう。

 ◆企業が発掘する援助案件

 ODAは有償援助(円借款)と無償援助に分類されるが、PCIの受注案件はほとんど無償援助である。

 無償援助は、@教育・保健・衛生などの社会インフラおよび交通・通信等の経済インフラの分野と、A研修員の受け入れ、専門家や青年海外協力隊の派遣などに分かれる。

 @は無償資金協力、Aは技術協力と呼称し、原資はすべて税金で、いずれも日本企業が受注する。外務省の『ODA白書』(07年版)によると、06年には、@が50億5000万ドル、Aは26億8400万ドルも支出されたという。

 @の多くを占めるのが、「一般プロジェクト無償資金協力」で、比較的大規模な道路・橋梁・上下水道・病院などが対象である。

 これらの設計・積算、施設建設、資機材調達等は、入札で決定した日本企業が担当し、その資金は政府から日本にある被援助国政府名義の銀行口座に振り込まれ、それが受注企業に支払われる仕組みになっている。

 そこで問題は、「不正」がどうまかり通るのか、であろう。まずいえるのは、援助案件のほとんどが日本企業によって“発掘”されていることだ。業界用語で“仕込み”ともいっているが、そこでうごめくのは、PCIのようなコンサルタントやゼネコン、商社である。

 ◆落札率99%ばかり

 彼らは援助案件を発掘すると、相手国政府の担当部局を通じて日本政府へ援助の申請をおこなうよう仕向ける(具体的には被援助国におかれた日本大使館の経済協力担当部署に申請され、そこから本省に上がっていく)。日本政府が認めれば、晴れて援助案件に化けるのだ。

 競争入札がおこなわれても、業界用語でいう「汗をかいた」業者が“本命”となるのは当然だ。その「汗」にワイロが含まれるのもまたしかり。

 したがって、入札は「儀式」にすぎない。それをものの見事に物語るのは「落札率」だろう。

 外務省が予定価格と落札価格を公表しはじめた03年度から06年度までの「一般プロジェクト無償資金協力」案件の落札率をみると、「99・99%」「99・98%」など、99%以上がゴロゴロしている。

 たとえば、03年度に実施した一般プロジェクト無償の施設建設の入札は計37件だったが、そのうち99%を超えるものが22件で、90%以下はわずか1件である。

 一般的に落札率が90%を超えた場合、「談合」が疑われるが、そのデンでいうと、36÷37だから“談合率”は何と97%!

 いや、これは少々、乱暴な計算だったかもしれない。というのも、そもそも入札が形式にすぎないケースが多々あるからだ。

 それは、1件あたりの入札参加業者数をみればわかる。先の施設建設をめぐる03年度の入札参加業者数の平均は2・4社である。同様に06年度など、わずか1・8社しか参加していない。これでは「競争」などと形容さえできないし、わざわざ「談合」する必要もない。

 さらに驚かされるのは、1社のみ参加、というケースが、06年度は全体の4分の1を超えていることである。業者にとって、無償援助は実にうまみのあるビジネスなのだ。

 ◆「ワイロは当然」

 だからPCIは、やりたい放題だった。00年には、中米コスタリカの農業開発に関する無償援助で、業務委託した同国の国土地理院に、委託料2500万円のうち700万円しか支払わず、残りが使途不明金となった。

 これを受けて発注者のJICA(国際協力機構)が調査をしたところ、グアテマラ、ボスニア、コスタリカ、エクアドルの4カ国4件でも架空請求や水増し請求が見つかり、JICAはPCIに指名停止処分を下した……。

 一連の不祥事を受け、ついにPCIは、「コンサルタント事業は実質的に廃業する方針を定め、もって市場からの撤退という方法で社会的責任をとらせていただきたい」という“廃業宣言”を、この6月に公表したのだった。

 たしかにPCIはやりすぎたのだろう。しかし、ライバルと目される大手コンサルタント会社のあるOBは、「リベートや過剰なプレゼントなどはどこでも提供していること」という。

 彼が見聞した中で、もっともハデな例は、ヴェトナムの工業団地建設にからみ、ある大手商社が何人もの政府高官とその家族らをインドネシアのバリ島へ招待旅行したというもの。

 「わざわざ飛行機をチャーターして大勢連れていったのだから、さすがに驚いたね」と語る。さらにインドネシアでは、日本企業が政府高官にベンツをプレゼントした例もあるという。

 ◆「キム疑惑」も?

 政治家が絡めば、スケールはさらにアップする。独裁者が君臨する国ではなおさらだ。スハルト疑惑、マルコス疑惑、(朴政権時の)対韓援助疑惑など、過去にはすさまじい規模の汚職が蔓延した。いちいち例示はしないが、日本の政治家が絡む援助疑惑も数々あったし、いまもある。

 北朝鮮と日本が国交を回復すれば、経済援助が実施されるはずだ。韓国との国交回復では、有償無償あわせて5億ドルが供与された。対北朝鮮の場合、100億ドル程度との説が有力。またぞろ巨額の利権が発生して政治家が群がり、企業は利益ほしさにあらゆる手段を駆使して受注に狂奔するだろう。

 独裁者・金正日(キム・ジョンイル)が“健在”なうちに援助が始まれば、やがて「キム疑惑」などといわれる事態が生じる可能性だってあるのだ。

 10年前に不正競争防止法が改定されて外国公務員へのワイロが直接立件できるようになっても、先述のように、たった1件しか摘発できていない。それもごく小額のワイロをめぐってである。

 PCIの贈賄も実のところ、そのスケールにおいては“かわいい”もの。摘発をまぬかれた(あるいは現体制が揺らぐゆえに摘発ができない)疑惑は、隠されたままだ。ODA疑惑の闇は、底知れない深さをもっている。

 (隅谷 優)


【三面サブ】
“亡霊”は甦る
マルクス怖れるインテリたち

 京都大学教授の佐伯啓思が、産経新聞に「『マルクスの亡霊』を眠らせるには」という、空っぽの駄文を書いている。

 「亡霊」であるマルクスをそのまま過去の人にしておくためには、現在の資本主義の矛盾を見つめ、その修正に心を砕かねばならない、というのである。

 しかし佐伯は一体何のためにマルクスを恐れ、その“復活”を何が何でも阻止しようとするのか、しなくてはならないのか。

 彼は最近、『蟹工船』が新しく人気を呼んでいるとか、『資本論』の翻訳・解説をした新書が発売してすぐ数万部も売れたとか、書店に行けば久しぶりにマル・エン全集が置いてあるとか、自分のまわりにも「マルクスに関心をもつ学生がこの一、二年でかなり増加した」なとど報告したあと、マルクスなど破産したことが明らかな現在、こんなことは「何か奇妙にみえる」とぼやくのである。

 彼らはこれまでマルクス主義と労働者解放の運動を批判し、否定することで、ブルジョア社会における自らの特権と地位を手にすることができた、まさにそれゆえに、彼らが「破産した」と宣告したマルクス主義が“生き返って”来ては困るのである。

 しかし資本主義の矛盾が激化して行けば、マルクスに関心が寄せられ、マルクスが読まれるようなるのは一つの必然であって、ここには不可思議なこと、奇妙なことは何もない。それはまさにマルクス主義が「亡霊」でも何でもないことを教えているのである。

 彼は現代資本主義が「中間層」を生み出すなどして「安定」し、マルクスの「予言ははずれた」と言いながらも、「今日の経済は、確かにマルクスが述べたような一種の搾取経済の様相を呈しているといってよい」と認めざるをえないのである。

 それならマルクス主義の意義を確認すればよさそうなのに、彼はさんざんに無意味な空語にふけった後、突然次のように結論する。

 「資本主義が不安定化するというマルクスの直感は間違っていたわけではない。しかし無論、マルクスの理論や社会主義への期待が正しかったわけではない。マルクスに回帰してどうなるものでもないのである」

 全く何を言わんとしているかも分からない荒唐無稽な文章である。

 彼が“無政府的”で、搾取的な資本主義に対する救済策として持ち出すのは、その統制、規制という平凡なものでしかない。

 「『無政府的』な資本主義は、確かにマルクスが予見したように、きわめて不安定なのである。マルクスの亡霊に安らかな眠りを与えるためには、グローバル資本主義のもつ矛盾から目をそむけてはならない」

 しかし、資本主義の矛盾をしっかり確認するなら、そこからは必然的に、マルクス主義の“復権”が出てくるのであって、「マルクスの亡霊の安らかな眠り」などということには決してならないのではないのか。

 資本主義がその本性に従って、その深い矛盾を暴露するし、せざるをえないからこそ、労働者が、若者がマルクスに牽かれ、マルクスが読まれるようになるのであって、ここにはごく自然な“因果関係”が、一つの“自然法則”があるにすぎない。

 マルクスなどは死んだ、「時代遅れだ」などとえらそうに言いはやしてきたインテリたちは、今や、鉄の必然でもあるマルクス主義の“復権”に驚愕し、うろたえおびえ、くだらないへりくつを考えだし、自らの動揺と破綻を隠そうとやっきになり、醜い姿をさらけ出している。

 (W・H)


【三面サブ】
過酷な労働実態を告発
『ルポ・“正社員”の若者たち』

 パートや派遣などの非正規労働者たちの酷い実態は社会の注目を浴びている。しかし、“正規”労働者もまた非正規労働者と同じように過酷な状況のもとに置かれている。本書(小林美希著、岩波書店刊)は、非正規労働者の陰になってこれまであまり触れられてこなかった若者の“正規”労働者の労働・生活実態のポルタージュである。

 ◆正社員とは名ばかり

 著者がルポの対象としているのは、1970〜80年に生まれた世代の若者たちである。彼らの世代は“就職氷河期”に当たる。この世代が大学を卒業し、就職期を迎えたのはバブル崩壊後の長期停滞の時代で、大卒の就職率は93年度の76%をピークに以降加速的に低落し、2004年度には56%になった。正社員として就職することが困難になる一方では、パートとか派遣などの非正規労働者が増えた。(男性の非正社員の比率は1990年2月に15〜24歳で20・4%、25〜34歳で3・2%であったものが、07年の平均ではそれぞれ43・3%、13・8%に上昇。女性の場合には、90年2月に15〜24歳で19・9%、25〜34歳で24・5%であったものが、07年にはそれぞれ49・6%、42・4%となっている)。

 本書で取り上げられているうちから典型的な例を見よう。

 都内の大学を卒業、臨時労働者として働きながら客室乗務員を目指していた和代(仮名、以下同じ)は航空会社に就職できず、やむなく故郷の県庁に臨時職員として部長クラスの秘書として就職したが、月給手取り11万円程度で、署員のスケジュール調整とお茶くみの仕事に失望、地元で急成長中の派遣会社に正社員として転職した。求人広告には「23歳〜、年収360万円以上」となっていたが、実際には試用期間が過ぎても月給は20万円程度。仕事はきつく、毎日帰りは深夜0時過ぎはザラ。年俸の中に残業代はもちろん、仕事で使用した携帯電話代も含まれているとのことで支払われず。企業回りで必要な自動車のガソリン代はもちろん、修理代も自己負担であった。

 仕事の量と責任は増える一方で、ついに過労で倒れた。「この会社にいても未来はない。正社員といっても生きていけるだけもらって、働けるだけ働かされる」だけと絶望して会社を辞めた。

 マスコミ関係を希望した太一は、慶応大卒業後、災害情報などを24時間体制でリアルタイムで提供するベンチャー企業に契約社員として就職する。月給は25万円。1日8時間のシフトが原則であったが、何か事件や災害が起きれば、つきっきりで配信しなくてはならない。その上、社内の人材教育を任され、ついに社内で寝泊まりし、ほほ毎日、24時間体制で働くことになった。このため1年で自律神経失調症にかかり、退社。

 次に就職したのは、電気機器の大手量販店である。正社員として採用され、年俸制で420万円からスタート。入社3カ月で売り場の責任者になった。売り場作り、在庫が途切れないように、また過剰とならないように在庫を調整することやアルバイト店員の勤務表の作成が主な仕事だった。24時間の営業で1日の勤務は8時間と定められていたが、客との対応や在庫調整のための交渉に追われ、8時間を超えるのは日常的であった。また責任者となると週休は1日となり、それもアルバイトが急に休むと代わりに出勤せねばならず、休みが取れるのは月1日程度になった。残業代もつかない。倉庫の商品整理、商品の出し入れの仕事はきつく、月30万円の給与のほとんどは疲労を回復するためのマッサージ代に消え、貯金の余裕はなかった。

 入社して2年半後に、副店長に昇格した。しかし、万引きや商品の破損分はボーナスから差し引かれた。昇格して、職責ボーナスがつくはずがマイナスになり、給与はもらえるはずの手取り28万円には届かず、25万円となった。年収は入社当時の420万円どころか400万円を切った。会社は実力主義を掲げていたが、業績をあげてもその努力は反映されず、多くの社員が退職、太一も入社8年目で退職した。

 残業代も払わずこき使う「名前だけの店長」が社会問題にされているが、この場合も同じである。名前だけの管理職に仕立て上げ、権限はほとんどなく責任だけを押しはつける悪辣なやり方がまかり通っている。

 大手都市銀行では法律無視のノルマ強制が行われている。

 茜は、短大卒で、「女性の働きやすさ」を売りにするメカバンクに一般職として就職した。初任給は約13万円。4年たつとベースアップもあり、月給は額面で20万円になった。しかし、8歳年上の一般職の先輩の給与が自分と2万しか変わらないことに不安となり上司に相談すると、一般職でも投資信託が販売できる職種への転換を勧められた。

 銀行は業績をあげるために、窓口でも投資信託重視を掲げていた。銀行にとって窓口業務で稼ぐ手数料は1件で約500円程度、投資信託なら1件で何10万円も稼ぐことができるからだ。銀行は女性向けの投資信託や住宅ローンを開発し、それを売る女性によるプロジェクトチームを立ち上げ、そのために女性の営業職を必要としていた。事務職からの職種転換の要請は、「書類の記入だけならパートや派遣でもできる。余った社員は投資信託を売れ」という方針の反映だった。

 営業職には、月1万円の手当がつき、残業代で収入も増えるということだった。しかし、毎日社内全体の収益ランキングが送られ、誰が何位か明らかにされる。さらに毎月コンテストが行われ、収益や新規顧客の獲得件数が競わされる。目標が達成できないと怒られるが、他方では労基署の監督が入るとまずいといって早く帰れといわれる。そのため目標達成しようと土日に開かれる「休日相談会」を狙って営業をかけることになる。休日出勤の代休を申請すると上司に嫌味をいわれる。代休も満足にとれないノルマに追われる毎日だ。

 基本給は20万円程度で頭打ち、妊娠すれば異動になって退職に追い込まれる、これが「女性の働きやすさ」を売りにする銀行の実態である。

 低賃金、労働のきつさは介護職場も同じである。

 玲子は大学卒業後、地域で介護サービスを展開する社会福祉法人の特別養護老人ホームに介護職員として就職した。3階建ての施設には個室が完備され約100人の入居者がいる。フロアには約40人が入居し、フロアごとに4〜5人で担当する。夜勤(16時〜翌日10時)明けの翌日は原則休日だが、しばしば勤務にはいることも。仕事は入居者の食事の介助、排泄介助、入浴介助が主で、そのほか季節にあった行事、イベントや余暇活動、体操など。仕事は激務だ。とりわけ入浴は2時間で30人も入れなくてはならないために大変。体と頭を洗って着替えをさせ、髪を乾かす、流れ作業だ。

 職場には正社員と非正規で18人いたが、入居者100人の介護は激務だ。玲子は2年目には夜勤のストレスから自律神経失調症にかかり、精神安定剤を飲みながら働き続けた。休みは月8日あるが、それは夜勤明けだからとれるようなもの。2日連続の休みなどない。休日は疲れ切って外出することができない。2年目になって主任に昇格し、その分業務は増えたが、給与は月15〜16万円のまま。夜勤手当がついても20万円にも満たない。激務と低賃金のため、3年間の間に職場のスタッフは100人近く入れ替わった。働き続けているのは玲子を含めわずか2人。

 以上みたように、ここで取り上げられているのは、“正社員”として少しばかりの雇用の“安定”を与えられ、それと引き換え長時間労働を強いられ、低賃金であえいでいる若者たちである。将来の展望もみえず、心身ともにすり減らされ、希望した職種に就職したものの自ら職場を離れざるを得なくなっている過酷な現実である。

 ◆将来の展望なし

 女性のパートやアルバイトは「家計補助」的と呼ばれた時もあった。しかし、現在では、自立した生活をめざして働こうとしているにもかかわらず、正規雇いにはなれず非正規社員としてしか採用されない場合はざらになっている。

 本書でも契約社員として大手生命保険会社の外交員となった人が取り上げられている。

 外交員は最初の2年間は月給18万円が保証されるという約束だった。社会保険は会社加入であったが、個人の請負契約を結ばされた。仕事は一般社員と同じなのに、個人請負業務ということで交通費は自宅から近隣にあるオフィスまでしか支給されず、顧客を回る交通費やお茶代、生保のオリジナルグッズも自己負担。業務連絡がくるオフィスに置いてあるパソコンもレンタル料として月5000円が給与から天引きされた。

 保障されるといわれた月給はノルマをこなさなければ減給となった。月2件の契約をとり、売りあげた保障額が合計1000万円となるのがノルマである。契約が1件なら基本給が5・5万円、2件なら7・5万円、それに歩合がついてやっと18万円になる仕組みだ。契約がとれないと上司から「暗くなるまで帰ってくるな」とハツパをかけられ、友人、家族や親戚から契約をとってこいと怒鳴られる。

 無理に無理を重ねてその場その場をしのいでいるが、ある時は契約が取れず、手取り給与はたった4万円でしかなかった。それでも現在の仕事を辞めることが出来ない。夫は就職氷河期世代で正社員になれず雇用は不安定だ。幼い子供を抱えた女性にとって仕事は限られており、なんとか生活費を稼がなくてはならないからだ。

 働き盛りの若者たちが働こうとしてもまともな仕事に就けず、低賃金で酷い労働条件で使い捨てされる。政府の対策もおざなりでインチキだと筆者はいう。

 たとえば就職に悩む若者のカウンセリングや自己啓発セミナーを行う「ジョブカフェ」施策が04年から06年まで3年間実施された。全国20モデル地域を選んで、3年間で計165億円が投入された。政府の報告では利用者258・5万人、就職決定者は15・7万人となっている。しかし、「就職決定者」とは正社員とは限らず、パートやアルバイトも含まれるといういい加減なものでしかない。しかも、国から事業を委託されたリクルートでは自社の社員の日当は1人当たり12万円、委託事業のために雇った契約社員の人件費は9万円であった。それは委託会社の社員、契約社員に満額支払われていたわけではなく、差額は会社の収入となった。委託を受けた他の会社も同様。委託会社は政府の支援事業を食い物にしていたことが暴露された。

 最近では幼児虐待やネグレクト(育児放棄)が増加しているが、これは親本人の雇用不安やストレスが背景にあると筆者は言う。非正規労働者ばかりではなく正規労働者もまた雇用不安にさらされており、雇用問題は「非正規社員と正規社員とセットで考える必要がある」、すべての労働者が「働きがいのある社会」をつくりださなくてはならない、そのためには経営者に対する法的な「規制・監視」を強めるべきで、企業にとって都合のいい法制度を許してはならない、というのが筆者の結論である。

 しかし、筆者のように「企業は利潤を求め活動するのは当然」と資本主義を前提するなら、「働きがいのある社会」という呼びかけも無力な願望でしかない。

 とはいえ、本書は“正社員”もまた非正規社員と同様な過酷な生活を強いられており、非正規労働者と共に団結して資本と闘っていかなくてはならないことを示している。

 (田口騏一郎)


【四面トップ】
天安門事件を背景に青春像
芥川賞受賞作『時が滲む朝』を読む

 先日、中国籍の作家として初めて(外国語を母語とする作家としても初の)芥川賞を受賞した楊逸さんの『時が滲む朝』を読んでみた。小説のあらすじは、農村出身の青年が理想に燃えて大学に進学するが、その直後に天安門事件(一九八九年)に遭遇し民主化運動に身を投じる。しかし、その挫折の中で放校処分となり、その後日本に渡って祖国の動きや当時の亡命者・日本を初めとする海外在住者の動向を見守り、また自分自身の経験を反芻するといった内容だ。

 作者の楊逸氏は、中国人にとって天安門事件とは何だったのか、「書く仕事をする者として、書き残しておきたかった」という。また、選考委員の高樹のぶ子氏は、「私たちと比べて、中国人の主人公の激動の年月が新鮮に感じられた」「人間が必死で生きている手触りが実感できた」といった評価をし、「私は全共闘世代だが四〇年前に感じた熱気がある。今の日本の文学環境では一層実感される」ともいっている。確かに、細々とした日常生活を描写するだけの現在の日本の文学環境の中では、歴史的・社会的なスペクトルをもった本作品は新鮮な面を持っているし、そこが評価された理由の一つであろう。また、日本に住む我々にとっては、数十年前の学生運動の時代を思い起こさせる作品でもある。さらに、天安門事件当時の中国の雰囲気や日本における中国人社会、亡命者等を中心とする海外中国人社会の実情の一端にも触れることができ興味をそそられる。しかし、作者による天安門事件そのものの歴史的位置づけや社会的意義等々の評価となると幾分表面的で深みがないと感じざるを得なかった。そこがブルジョア文壇でもてはやされた理由でもあるだろうが、作品をいまいち陳腐なものにしているように感じる。

 小説の主人公梁浩遠は黄土高原の農村で育つが、大学に入学し将来高校の先生になって国のために尽くしたいと友人の謝志強とともに故郷に近い秦都市の秦漢大学に入学する(秦都市や秦漢大学は架空の都市・大学であろうが、西安の西隣の咸陽市に秦都区というのがあるから、小説の舞台としては西安やその近辺を想定しているのであろう)。二人は大学の寮で生活しながら朝早く起き出して構内の公園や湖畔で大声で詩の朗読をしたり、暗記物の勉強したりして勉学に励む。彼らの憧れの教授は、二十世紀初頭の新文化運動をテーマに講義する甘先生であった。彼が後にこの大学における民主化運動の指導者となり、その影響の下に主人公らも市庁舎前での集会や座り込み、市内でのデモ行進などにのめり込んでいくのであるが、日本ではあまり知られていない新文化運動当時の作家、沈従文や徐志摩、戴望舒といった作家が出てきたりして(揚氏が)いかにも中国人作家らしく興味深い。彼らが構内の湖畔で大声で朗読していた時に白英露という女学生と知り合いになり、淡い恋心を持つようにもなる。寮では、テレサ・テンなどの歌をテープで聴いて甘い感情に浸るとともに、こんな靡靡之音(ミーミージーイン、退廃的な歌)を聞いていて良いのかと自責の念に駆られる主人公でもある(つまり、革命歌のようなものしか聴かされてこなかったので)。

 さて、大学に入学して半年もたつ頃、この主人公達にも民主化運動の波が及んできた。同級の範亮が北京の大学に入学した友人からの手紙を紹介したり、甘先生が市庁舎前で集会を始めたりしたからである。彼らは、この集会に参加するようになり、いつしかこの民主化運動にのめり込んでいく。しかし、小説ではその理由は極めて単純に描かれている。「官僚の汚職と腐敗に反対して、大学生は天安門広場で集会して、ハンストなども行っている」「今、官僚の汚職が多いでしょ。アメリカみたいな民主主義になれば、役人は全て選挙で選ぶから、汚職はあり得ない」、本当の目的は「民主主義国家になること」「アメリカのように民主的で自由もあって」「与党も野党もいて」、等々。つまり、民主化運動の目的は、簡単に言えば「官僚の腐敗と汚職に反対し、アメリカのように野党も公然と活動できる自由と民主の国にする」というのだ。確かに、当時の中国において最も主流的で一般的な民主化運動の目標はこのようなものであったかもしれない。しかし、これでは天安門事件の歴史的な位置や社会的背景等は表面的にしか捉えられないし、運動の中にあったかもしれないさまざまな側面も切り捨てられ一面的にしか捉えられないのではないだろうか。党中央主導で進められた改革開放路線の矛盾、ゴルバチョフ訪中などの旧ソ連・東欧の動き、何よりも外資導入や経済開発区の設定等による資本主義的経済発展にともなう問題、等々。また、実際の運動の中には旧毛沢東主義的な発想からする義憤のようなもの(天安門事件とは直接の関係はないが、昨年我々に接触を求めてきた香港の学生はこのような傾向が濃厚であった)や素朴ではあってももっと労働者的な潮流もあったのではないだろうか?もっとも、学生たちの取り敢えずの反応の一つとして「帝国主義で資本主義のアメリカって、どこよりも腐敗しているんじゃないの?」というようにいってみれば当時の公式的な見解も描かれており、また、居酒屋の主人や一般客の口を借りて、「まるで共産党に政権から降りろと言っているように聞こえた」「国民党? まさか蒋介石を台湾から呼び戻そうというの、昔の内戦みたいに? 反革命になっちゃうじゃないか」等々とも言わせている。しかし、学生たちがTシャツの背にプリントした運動のスローガン「我愛中国」や「自由民主」等々はいかにも皮相である。

 六月四日の軍による天安門制圧(天安門事件)をもって運動は終息し、甘先生や白英露ら運動の主だったリーダー達はアメリカに亡命する。他方、浩遠と志強は先の居酒屋で一般客と口論となり暴力事件を起こして退学処分となってしまう。将来のエリートを約束されていた彼らは、一転して農民工に混じって働くどん底生活に転落してしまう。

 やがて、浩遠は残留孤児の娘で日本に馴染めず妹と一緒に秦都の高校に通っていた梅と結婚し、日本に渡る。日本では、中国民主同志会日本支局の懇親会等に参加するようになり、いつしか幹部の一人となる。この団体は架空のものだが(実在するこの種の組織としては、民主中国陣線日本支部、中国民主団結聯盟日本支部、中国民主運動海外連合会議日本支部、等があるようだ)中国の民主化を求める海外在住者の団体で、在外中国人の生活支援や情報交換等も目的とするものとして描かれている。彼が初めて参加したのは、日本に来た年の九二年に日比谷で行われた「6・4記念集会」ということになっている。この集会では6・4事件の際にアメリカに亡命し、この団体の機関誌編集長となっている張北松という人物が演説したりしているが、彼は機関誌に「偉大なる自由民主の国――アメリカ」という連載を執筆したりしている人物として描かれている(これはまた、何という「偉大な」民主運動の指導者であることか!)。浩遠は彼に「感服」するとともに、アメリカに亡命した甘先生や白英露の所在を探してほしいと頼んだりしている。この団体のメンバーには、張北松や浩遠のように頑なに「理想」を求める「孤独な革命家」もいるが、実際には日本や香港・中国等での商売の成功やツテを求めて集まってくる人々も多い。

 彼が参加した頃は人数も多かったが、香港の返還(一九九七年)、本国の経済発展や海外脱出組の商売の成功、等々で次第に人数も減少してくるのであった。そんな折りの二〇〇〇年暮れ、甘先生が中国への帰国の途上日本に立ち寄り浩遠と再会する。彼は最初の亡命先のアメリカからフランスに渡り大学の研究員となっていたのだが、天安門事件に引き続いた東欧革命後の実情を見て回り、帰国の決意をしたのだ。「辺鄙な田舎にでも行って、小学校の先生になる覚悟だ」「長年理屈ばかりで生きてきたけど、所詮一介の書生だ。遅いかもしれんが、少しでも社会の役に立てたら」というのが彼の真意である。ここには、民主化運動そのものの陳腐化と形骸化が象徴されている。浩遠自身も、「何かのためにあんなに我を忘れて、全身全霊で頑張ったことは、それまでになかったし、その後もない」と述懐しながらも、「それが何のためだったのか考え始めると、切なさが体の奥から湧いてくる」のである。

 さて、作者は浩遠が勤めている印刷工場の課長の言葉を借りて「民主化って、今日言って明日なるって話じゃないだろう。中国もいずれだよ、このまま経済さえ発展すればな」と言わせているが、これが作者の結論であろうか。八七年に来日し、「民主化運動が過熱している様子を日本のテレビで知り、八九年五月中旬に中国に戻りました。デモには参加しませんでしたが、天安門広場に行ってみました。戦車が入ったときには汽車に乗っていたので、事件そのものは目撃していません」と天安門事件に深刻な衝撃を受け、二〇年近くに渡ってその意味を考え続けてきた作者の結論にしては何とも平凡である。しかし、北京オリンピックを間近に控えた現在の中国でも、共産党の「一党独裁」は依然として続いており、チベット問題などの民族問題、官僚の腐敗、格差のさらなる拡大、公害や環境破壊、等々問題はむしろ深刻になっているといってもいいのではないだろうか? 天安門事件を単なる民主化運動としてのみ捉えたのでは、それが例え当時運動に携わった人々・そして現在も運動に取り組んでいる人々の平均的な意識であったとしても、けっして中国の過去現在、そして将来の行く末に肉薄していくことはできないであろう。

 ところで、今回の揚氏の受賞について当の中国メディアは、「中国の農村から異国に渡った男性の、10年余りの生活体験と感情の遍歴を描写」等々とのみ報道し、「天安門事件」については一切触れていないという。このことは、事件を「反革命暴乱」と決めつけた中国当局の姿勢が変わっていないことを印象づける(事実そうなのであろうが)とともに、作中での民主化運動「闘士」のアメリカ(的民主主義)賛美と相俟って反動勢力を勢いづかせるのではないかと危惧される。しかし、これも結局天安門事件そのものへの作者の捉え・位置付けの皮相さからきているものと言わざるを得ないであろう。


【四面書架】
『斎藤一郎著作集(第一期全八巻)』
血の通った戦後労働運動史

 昨今のように労働運動のエネルギーが沈滞し、その社会的な影響力が弱体化してしまった時代には、むしろそのエネルギーが限りなく溢れ出て、その社会的影響力が誰にも無視することの出来なかった時代を改めで振り返ってみる必要があるようだ。

 それは決してその時代を単に回顧し、賛美するためではなく、むしろその時代の意義と限界を見定め、今日の無力な労働運動の現状の奥底に、新たな闘いの可能性を掘り起こすためなのだ。

 その意味でも、戦後四〇〜六〇年代の労働運動の最もエネルギッシュな時代に、労働運動の歴史を「労働者階級の徹底した自己批判の歴史として」書くことに努め、徹した本著作集の著者・斉藤一郎は見逃すことの出来ない人物である。

 彼は一九一一年に北海道の長万部に生まれ、三二年に全農秋田地方委の組織活動に携わり、共産党に入党、同年十一月治安維持法違反で検挙される。懲役五年の判決で入獄し、三九年に非転向のまま出獄する。戦後再入党した彼は、四六年十二月に産別の事務局に共産党フラクションの責任者として入り、二・一ゼネストの高揚とその挫折を含む「激動期の困難なすべての闘争を経験してきた」のである。

 しかも決して単なる労働組合の実務者にとどまり得なかった彼は、当時の“スターリン主義的な前衛党”共産党の忠実な一員でありながら、党中央の「解放軍規定」や「平和革命論」などに基づく錯誤に満ちた指導方針への公然たる批判と衝突を避けて通ることは出来なかった。党中央と決定的に対立した彼は、結局四九年にすでに衰退しつつあった産別を離れ、当時主流派となりつつあった総評内外の活動家グループの指導と執筆活動に専念し、戦後労働運動の批判的論評の歴史にその名を刻むこととなったのだ。

 戦後日本の労働運動の歴史は、およそ三つの時期に分けられるであろう。

 その第一期は、終戦から一九五〇年頃までの共産党によって主導された産別の時代である。第二期は、社会党主導下の総評民同の時代である。それは五〇〜五五年までの高野の時代、五五年から六〇年代中ごろまでの太田・岩井の時代、そしてその後八〇年代末の総評終焉までの四十年弱に及んでいる。そして第三期は、連合、全労連発足後今日に至る時代である。

 今回出版された(一期分出版)計二千頁余りにも及ぶ八巻本の『斉藤一郎著作集』は、この第一期の産別時代から第二期総評時代の太田・岩井の登場のころまでの激動的な時代の労働運動を主に取り扱っている。

 特に、本著作集の一、二巻には斉藤が五四年春に青木書店からの依頼で書き上げながら、党中央からの“妨害”で出版できず、翌五五年夏にやっと自費出版した曰く付きの著作『二・一ゼネスト前後』が掲載されている。そして、それを冒頭部に要約して再録した三、四、五巻の「戦後労働運動史」こそは、今回の著作集の中軸をなすものなのである。

 「四五年の終わりから四六年の一月にかけて荒野を焼き尽くす火のように広がった労働運動」は、翌年の春から夏にかけて産別対総同盟と分断されつつも、労働組合員数は年末には四百八十万を突破し、怒涛のような爆発的前進を開始した。当時の飢餓的低賃金の下で労働者は生きるため闘わざるを得なかったのだが、それはインフレを高進させ、生産をサボタージュしつつ米帝の支えによってかろうじて生き延びようとしていたブルジョアジーにとって死活問題であった。そしてその闘争の頂点である二・一へ上り詰めていったのだが、世界ブルジョアジーの盟主アメリカのGHQがそれを黙認するはずはなかった。

 その時、共産党の「解放軍規定」が二・一ストを武装解除するためのいかに決定的な道具となったかを斉藤は明確に暴露している。ただ彼はあくまで、左翼スターリン主義者の立場から、すなわち、植民地支配をたくらんでいるアメリカに抗する民族民主主義革命の立場からそれを強調するのであるが。

 彼は徳田の「人民革命」の呼号の空疎さや野坂の「平和革命論」の迷妄や「地域人民闘争」の欠陥、「経済復興会議」への共産党の参画の誤謬などをも痛罵して止まない。そして二・一スト敗北後の産別の内在的な欠陥による後退の必然性を公然と暴露している。

 ただ、彼の党中央への批判は党そのものを否定するところまでは行かないし、六全協などについての批判も曖昧で、左翼スターリン主義の限界を超えていない。

 だが彼の批判は決して教条的なものではない。彼は確かに古きよき時代の断固たる左翼スターリン主義者だが、トロツキストへの敵対に狂奔することなく、むしろ六〇年安保では全学連への共感を隠さない、“血”の通った熱と重みのある労働運動史の証言者なのだ。

 今回の出版は革マル系の出版社(あかね図書販売)の企画とはいえ、七四年以来絶版となってしまった斉藤一郎の諸著作が今出版されることは大いに意義あることである。

 特に非正規労働者やワーキングプアの激増の中で労働運動の飛躍的前進が問われている今日においては!

 (東三河・鈴木)


【四面サブ】
公教育退廃の一側面
大分教員汚職事件に思う

 私の元職場に、八度目の教員採用試験で、遂に合格し、晴れて教員となった人がいる。団塊世代の退職で幾分採用数が増えたとは言え、まだまだ狭き門ではある。

 教員定数(一学級に教員数二名)が、教育予算の削減で(口は出すが金は出さぬという文科省の一連の政策で)、一向に増える傾向がなく、ほぼどの小中学校にも講師という臨時教員が多数いる。時給千円余りの薄給なのに労働量は一般教員と同等で、中には学級担任にされたり、土・日の部活も担当している。これもみな来年の教員採用試験に再挑戦し、いつか本採用となる夢を抱いているからである。

 大分県教育委員会の一連の教員汚職は、真摯に教員をめざす者や現職教員に怒りをもって迎えられている。教員採用に「コネ」があることは前々から知られていたことではあるが、それが具体的にあからさまに暴露されたことは、教育の荒廃が一層明らかにされたと言える。

 県教育委員会の教育長に次ぐ、bQの教育審議監と義務教育課参事と言えば、その県の教育と教員を一手に牛耳る中心人物であり、彼らが採用試験に絡みわいろの見返りに不正に教員採用し、小学校に至っては採用教員の半数(約四十名)にも及ぶと言う。最高で百万円分の商品券や現金授受と言うから、少くとも数千万円の金が動いたと言えるだろう。こうした汚職に染まる地方教育官僚の周囲には、現場の校長・教頭といった管理職(最近では管理職への登用にも不正な汚職があったと言われている)、県会議員、地方の名士等の口利き連中がたむろし、ドロドロの様子を呈している。

 大分県教育長は、自分の汚職を否定しているが、採用合格日前に合否を漏らしていたことは認め、それは「慣習だ」と説明している。裏返せば、教育長の周りにも一刻も早く口聞きの成果を知りたがっている連中がいたと言うことであろう。こうして、一連の犯罪は、教育委員会の組織ぐるみの不正であることが暴露されつつある。

 この口聞き、「コネ」は大分県に限ってのことではない。大なり小なり、どの都道府県でも見い出されることだろう。その証拠に、教員採用試験(一次、二次とある)の得点一覧表から受験番号と受験者名を削除する作業が多くの県で早急に行われたと言う。もちろんそれは、大分の義務教育課参事(人事担当参事)が得点を不正に水増ししたと判明したからである。

 教育現場に毎年やって来ては、「教師の信用失墜行為」を諌め、聖職者たれと訓辞する教育委員会の管理主事達のトップ連中による汚職は、腐敗し崩壊する公教育を余すことなく示している。

 国家官僚と同等の腐敗(厚労省の年金詐欺をはじめ、最近では国交省のタクシー問題等)は、今や地方の教育界にまで蔓延し、この社会が根底から腐り始めていることを物語っている。

 (静岡・教員Y)


【四面連載小説/天の火もがも(4)――林 紘義】
こはいかに 入学即デモ、全学ストとはC

 「何でわざわざこんなことをする必要があるのか、通行人のじゃまをして反発を買うだけじゃないか、こんなことはしない方がいい」

 と、また普通のデモに移ったとき、久夫は隣で腕を組んでいる高野に文句を言った。

 「二、三〇分、通行を止めるなんてことは、原水爆実験禁止ということに比べれば大したことはない、大事の前の小事さ。実験禁止のためには、世論の注意を集めなければならないのだから」

 高野はこんな具合に説明したが、もちろん久夫は少しも納得できなかった。しかし議論をする間もなく、また激しいジグザクデモが始まった。左手に、イギリス大使館が見えてきたからである。ここでは、抗議の意志を表明するために、どうしても断固たるデモを敢行する以外ないというのである。

 ジグザクデモがなければ、デモ自体はまるでピクニックにも似て楽しく、雨も上がって、東京の街中を歩いて見て、いい体験と言えるほどだった。しかしジグザクデモだけは感覚的に受け入れることができず、こんなものを無理にやるというなら、俺は絶対にデモに行かないぞ、と久夫はその時、ひそかに決意したほどだった。

 結局、九段下に行くまでに三回もジグザクデモをやらされ、下駄履きの久夫は散々だった。雨の後の道路を走ったりしたので汗は背中や腹を流れ、下駄は汚れ、靴下やズボンの裾は泥だらけだった。くたくたになって、足の裏には血マメまでできる始末だった。

 しかし久夫は、数列前でスクラムを組んでいた四人の女子たちが、走ったためにみな上気し、赤い興奮した顔になり、瞳もキラキラと輝いて、ひどく美しく見えたのに強い衝撃を受けた。

 というのは、伊那北高校は男子校で、女子との普通の接触とか付き合いとかいったことは全くなかったから、若い女性のそんな美しさに全く免疫力ができていなかったからである。

 また何となく都会の女の子に憧れる気持ちもあって(彼女等がみな都会の子かどうかは分からなかったが)、久夫は彼女たちに見惚れるのだった。

 デモは靖国神社の前で解散となった。久夫が東京に出てきた十日ほど前には、まだ桜の花がいくらか残っていて、花びらが舗道の上にちらほらと散って、都会の街に趣をそえていたが、もうここの桜は完全に葉桜に移ってしまっていた。

 久夫は靖国神社と言われても、その時は、どこか東京の有名な一つの場所、という以上の感慨を持つことはなかった。小学校一年の夏に戦争が終わったから、そのときまでに靖国神社という名前はさんざん聞かされた記憶はあったが、それが戦争中にどんな役割を果たしたか、どういう意義を持つ存在だったかということは、全く自覚していなかったからである。

 ただ少し前を、数人の女子たちが市ヶ谷駅に向かって歩いていくのを、清野と一緒に帰りながら追うだけだった。

 しかし清野が「少し東京を案内してやろうか」と言うので、喜んで従い、神田神保町の古本屋街とか、駿河台下の明大あたりなどを案内してもらった。久夫は、東京にも親切で、善意の奴がいるのだな、と少しは都会の連中に対する認識を改めるのだった。

 次の日は、寮の部屋替えだった。半年に一回、すべての部屋を移し替えるのだが、これは新入寮生を迎えるなどあって、各部の人数が増減したのを調整することもあるが、また不精な寮生によって汚れきった部屋を、定期的に清掃し、清潔にするという目的もないこともなかった。

 寮生という人種はとことん不潔で、自分から進んで部屋をきれいにしておこうというような殊勝な連中はほとんどいなかった。

 朝、各部屋の住人は、自分のふとんや持ち物をすべて廊下に出して部屋を掃除し、新しい住人が入れるようにしておいて、移動先の部屋に移って行くのだが、柔道部の連中は朝早く起きるなどということを好む人種ではなく、他の部屋がみな荷物を廊下に出したころ、ようやく目を覚ますのだから、新しく移ってくる者にとって迷惑この上ない存在であった。

 しかし廊下に出されたゴミもまたちっとやそっとのものではなく、運動部の部屋の廊下などはまさに壮観という言葉でしか表現するしかなかった。

 久夫は今度は中寮二階の二〇番に行くことになり、南向きの窓際に位置取りすることになった。夏は暑そうだった。

 やはり六人部屋で、久夫がエスペラントに移りたいと言ったので、ちょうどエスペの半端の三人と、柔道部の二人と、それに久夫という混合部屋になった。ときどき人数合わせのために、こうした部屋ができるときもあるのである。柔道部の二人は、理科系の二年生で勉強に熱心な人らしいので、久夫は少しホッとした。

 駒場寮は普通は六人部屋で、タイル張りの固い床に六台のベッドを置き、その前に大きな裸の机を据えて、各人のテリトリーとしていたが、寮生はりんご箱を積んだりして囲いを作り、またカーテンなども張り巡らせて、それぞれの神聖なる個人的領域を設けていた。声をかけたり、騒音を出したりしない限り、それぞれのプライバシーは最低限保証されていた。本を読んだり、勉強をしたりするときには、ベッドに腰を下ろせばそれでOKで、その点は全く余計なものがなく、効率的で、学生向きと言えば言えた。

 久夫も、飯田から送ったりん箱がこわれてしまったので、理一の先輩につれと行ってもらい、渋谷に出て八百屋からいくつかの木箱を調達してきて、さっそく囲いを作り、そこに本などを据えて、自分の居場所を作った。

 そしてその夜は柔道部の寮生のコンパなるものがあって、久夫は会費二百円もないので、出ないと兄に言うと、「最初だけは出なくてはだめだ」と怒られた。金がないというと、千円を貸してくれ、「俺は一万円、貯金がある」と自慢するのだった。

 ギリギリの仕送りの中でどうやって蓄えたのかと感心したが、久夫も、これで月末まで何とか生きられるとホッとした。とにかく、九千円の授業料から、寮費、食券代等々を払うと、家からもらってきたカネはとうになくなってしまっていた。

 食べることだけは、「定食券」を買ってあるから、四月一杯は心配はないし、また学校から外に出ることはないからカネを使うこともないからいいが、しかし身の廻り品さえ買えず、コンパ代二百円も工面がつかないということになると、さすがに早く次の仕送りが届けと願うばかりである。

 定食券とは、寮の食事部が発行する名刺より少し大きいくらいの食券で、半月分の朝、昼、夜の欄が印刷してあり、食事をするごとに小さい赤丸のハンコを押してもらう仕組みになっていた。食事代をあらかじめ半月分まとめて払っておき、それと引き換えに食券をもらうのである。前もって申し出ておけば、食べなかった分は払い戻してもらえるが、申し出てないと、それだけ損をすることになる。

 コンパにいやいやながら出たが、兄は久夫に「出なくてはだめだ」と言っておいてサボったらしく、どこかに行ってしまった。酒など飲みたくないし、大学に入ったら飲んでみようという気持ちもない。父が校長になり上がってから、何かと家にたくさんの教員たちがやってきて、隣の部屋でばか騒ぎをやらかすのをいつも見て、あきれていたということもある。

 二年生が、何人も「一年に入ったとき純粋だったのだが、この柔道部の環境に毒されて……」とか、「一年のときは勉強も柔道もしっかりやるつもりだったが……」とか、「最初は一に勉強、二に柔道、三に何かだったが、一年たつと逆になって……」とか、「まあ、心配するな、一年たてば一人前になるから」とか言うので、久夫はすっかり反発して、「みんなは“社会学”を学びたいとか言ったが、ぼくは柔道の他は別に教えてもらわなくていい」と言うと、二年生のだれかが、すぐに「勉強はいいのか?」とちゃちゃを入れてきた。

 そして酔った勢いで、二年生を中心に、「ストームだ、ストームだ」と寮中に繰り出して行くのだった。

 ストームというのは、運動部などが“武器”を持って全寮を“荒らし回る”ことで、部長は出発してすぐ、たまたま通ったどこかの部屋の寮生の背中をどやしつけた。また他の部の部屋のガラスを二、三枚叩き割り、ドアまで壊すのだった。もちろん壊されたドアもまた、すでにドアノブが外れているとか、半分こわれかけていたからいいようなものだが、久夫にはアナクロニズムにしか見えなかった。

 こんな具合で、柔道部のコンパは十二時頃まで続いて終わった。寮の伝統であるバンカラ気質の発揮というわけだろうが、久夫には、自分にとって別次元のことに見え、段々なじんで行けるとも思われなかった。

 しかしその週から始まった柔道部の練習には、兄に「体を鍛えておくことも重要だ」と強く言われて出ることにした。まだ柔道着もそろえられないので、普通の運動のできる服装で参加し、もっぱら腕立て伏せとか腹筋とか受け身などを、連日二時間ほど徹底的にしごかれ、くたくたになるのだった。

 他方、自治会は、四月二十七日に今度は学生だけの、全都規模の集会をやるということで、各クラスに討論と参加を要請してきており、全く落ち着いてあれこれ考えたり、整理したりするゆとりなど全くなく、あわただしい毎日が過ぎていくだけであった。入学早々だから仕方ないということがあるにしても、こんな日々でいいのかと、さすがに久夫もいくらか反省せざるをえなかった。